今日はハロウィンだが、ハロウィンとはいったい何か。

私自身は仮装したこともないし、これからもしないと思う。

だが行き過ぎたお祭り騒ぎは別として、独特の雰囲気は嫌いではない。

得体のしれないものを畏怖しているようなところが、なんとなく好きだ。

秋から冬へと季節が変わる頃に、死者が子孫のもとに戻ってくると言う。

その時には、祖先だけでなく精霊や悪霊もたくさんやって来るらしい。

何故ハロウィンで仮装するのかと言えば、

悪霊を追い払ったり、やり過ごすために仮装するのだと。

よくそんな話を耳にする。

だが私の解釈は少し違う。

元々は、悪霊に対して追い払ったりやり過ごしたりするような態度は取れなかったはずだ。

追い払うなんてことをしたら、大変なしっぺ返しを食らうだろうし、

そもそもやり過ごすことなどできないと思っていた。

だからこそ、かつてはリアルな生贄を差し出してきた。

現代の仮装は、悪霊を追い払ったりやり過ごすためにしているのかもしれないが、

その起源を辿れば、

悪霊そのものに成り代わり、「きちんと慰霊しないとダメだぞ!」と言うメッセージを伝えているのではないか。

現代の解釈はともかくとして、私は仮装の起源はそこだと思っている。

ここのところは秋田のナマハゲと似ているかもしれない。

ハロウィンの起源はケルト人にあると言われている。

ケルト人と言えば、アイヌ民族との類似性が指摘されている。

北海道では、秋から冬に向かう時期に各地でイチャルパ(先祖供養)が行われており、

先祖供養と同時に感謝祭が行われることもあるが、

ハロウィンも、元々は先祖供養と感謝祭を兼ねていたのではないか。

ケルトとアイヌは、よく似た渦巻紋様や熊などの動物を神としているなど、自然との共生をベースにした精神文化に共通点が多い。

ケルト人はヨーロッパ、アイヌ民族は北海道の先住民だったが、後続の勢力に踏み込まれ、伝統的な文化を破壊されてきたという似たような歴史を持つ。

ハロウィンも起源こそケルト人に遡るが、今となってはキリスト教の影響を強く受けるなど性質が変わってきているに違いない。

以上は私の想像に過ぎないし、どこに正統性があるかに強くこだわるつもりもない。

だが私は、

ハロウィンやイチャルパに底流する精神は、ケルト人やアイヌ民族に限ったことではないと思っている。

コロナ自粛で例年とは違う静かなハロウィンを迎えているが、

今日も先祖供養と恵みへの感謝の気持ちを込めて祈りたいと思う。