昨日、今日と二日連続で隣町の三笠市に行ってきた。
ここのところDRで市来知(イチキシリ)界隈の林道をのんびりと探索しているのだが、
昨日、たまたま市街地にある市来知神社で意外な歴史を知った。

市来知神社のすぐ隣に三笠市立病院があるのだが、
ここは昭和37年までは競馬場だったらしい。
たしか、一支庁に競馬場は一箇所までとなっていたはずなので、三笠には競馬場はないと思っていた。
この辺りの話はネットで調べてもあまり情報が出てこない。
こういうのはちょっと深堀りしたいところである。
競馬場のことを色々妄想しながらDRをトコトコ走らせていると、
三笠山でジオパークの説明看板が目に飛び込んできた。
奈良の三笠山(現若草山)に形が似ているので、三笠山と名付けられたとか。
競馬場の話に続き「本当に?」と思いつつ、遊歩道があるので登ってみた。
標高594mの小さな山だが最初緩やかな傾斜の道がいきなり急勾配になり、意外と疲れた。
だが頂上の景色がなかなかいい。
私以外に誰もいないので、記念に得意の独り言動画を撮った。
テーマは「労働からの解放」。
撮り終わったところで山頂から辺りを見渡していると、
すぐ近くに空知集治監典獄官舎のレンガ煙突があったことを思い出し、
三笠ジオパークの歴史テーマに迫りたくなってきた。
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と言うわけで、今日も誘われるようにして三笠に。
市街地から少し東の外れに行くと、千人塚史跡公園がある。

千人塚は空知集治監の囚人たちの墓。
道路敷設や石炭採掘などに駆り出され命を落とした囚人の中には、時の明治政府に反発して政治犯として捕らえられていた者も少なくなかった。
もちろんそれはそうなのだが、
私としては、
ここらに住んでいたアイヌ民族の人たちも強制的に駆り出されていたのではないかという疑問が湧いてくる。
だが、そうした記述はどこにも見当たらない。
ここらの地名の市来知(イチキシリ)も抜羽(ヌッパ)もアイヌ語である。
何もなかったはずがないのだ。
ここに限らず、北海道開拓期のアイヌ民族についての記述が少ないことに、
どうしても私は不自然さを感じてしまう。
市来知(イ=それ、チキリ=足跡、ウシ=ある、イ=場所)は、「熊の足跡がたくさんある場所」と言う意味だし、
抜羽(ヌッパ)は、「告げ口する」といったような意味がある。
アイヌ語にイランヌッパという言葉があるが、
これは、あまりにも理不尽な災いが降りかかってきた時に、人間がカムイ(神)に対して異議を申し立てることを指す。
あるいはこの地で、ヌッパの沢で、アイヌ民族がカムイと談判したのかもしれない。
ここで何が起きて、彼らはどんな談判をしたのだろうか。

そんなことを考えながら、ヌッパの沢へ向かう林道美三線へ滑り込む。
ゲートがあるが立ち入り規制はかかっていない。
林道入口から数百メートルでヌッパの沢ダムに着く。
「かつて空知集治監が設置されていた時に飲み水を溜める貯水池がここに作られ、付近で稲作が始まってからは灌漑用水地として利用されている。」とのこと。
まあ、わりとどうでもいいことしか書かれていない。
あっさりとヌッパの沢ダムを通り過ぎ、山を駆け上がるようにして北に向かう。
ク レヘ アナクネ ユタカナオナカ ネ(私の名前はゆたかなおなかです。)
繰り返しアイヌ語を呟きながら、奥へ入っていく。
よく整備された林道で非常に走りやすい。
紅葉が進んでおり、曇りがちな空から時々日が射すととても綺麗だ。
なんとなく雰囲気があって、私はここの山が好きになった。
三笠市と美唄市をともに見渡せる最高点にDRを停め、また独り言動画を自撮りした。
この動画は「オッサンの挑戦」がテーマ。
撮り終わった瞬間、急に空が暗くなり冷たいアラレがバラバラを音を立てて降ってきた。
逃げ出すようにしてDRを走らせるが、すぐに止み、暖かい陽射しが射し込んできた。
「この山は、私に何を伝えようとしているのだろう。」
そんなことを考えながら山を下ってきた。
だから国道には出ず、南美唄の自衛隊駐屯地から光珠内の専大跡地、峰延の外れの細い道を選んで帰ってきた。
この前のように危険を感じるような場所はなく、オフロードバイク初心者に紹介したくなるコースであったが、
ヌッパの沢とあの山には何かを感じている。
なんだかわからないが、決めつけることもしないが、
とにかく、今夜も祈りたいと思う。