昨夜、12日ぶりに自宅に戻った。

記憶の鮮明なうちに今回の旅を振り返ってみる。

10/10(土)19:45苫小牧港を出港。

10/11(日)4:45八戸港着。

舘鼻岸壁朝市で朝食。温かい牛筋煮込み、若鶏唐揚、混ぜご飯等々をいただく。

少し風が強かった種差海岸。

あまちゃんで有名な小袖海岸。

被災し高台に移転した野田塩工房。

被災前の田老。X状の巨大防潮堤。

旧大槌役場跡で手を合わせる。

さらに釜石経由で大船渡まで262km移動。大船渡では恩人と6年ぶりの再会。

10/12(月)嵩上げと復興を目指す陸前高田から、機能回復したかに見える気仙沼を通り、

岩井崎に立つ竜の松。

歌津経由で旧志津川防災対策庁舎。

大川小学校でも震災遺構としての整備が進められていた。

さらに、道の駅上品の郷から作並温泉、天童経由で米沢へ。

夕食は米沢牛の牛丼。

道の駅よねざわで車中泊。大船渡からの移動距離は301km。

10/13(火)道の駅よねざわから、

早朝の上杉神社。

朝食に喜多方ラーメン(坂内食堂)。

阿賀の将軍杉。

長岡で笹団子をいただく。

さらに上越を通り滑川までこの日の走行368km。

10/14(水)早朝に富山城を散策し、

五箇山&白川郷をじっくり歩く。

さらに高山から上高地経由で松本まで。この日の移動は346km。

10/15(木)小雨の安曇野からスタート。

生島足島神社に納められている武田家臣団の起請文。

真田の上田城から、

高崎の少林山達磨寺で達磨に絵入れ。国道16号で長女のいる八街まで292km。

10/16(金)

霞ヶ浦の和田公園でBBQ。

志ち乃のどら焼きを食べ、霞ヶ浦白帆の湯に浸かり、八街に戻る。この日の走行距離は160km。

10/17(土)九十九里浜巡りの一日。

なんと、卵かけご飯食べ放題。

なめろう、イワシのゴマ漬、さんご焼で夕食。この日の走行距離46km。

10/18(日)総武線で浅草と上野へ。

浅草東洋館で漫才を楽しむ。

上野で友人と中華&居酒屋へ。

10/19(月)八街で買い物し、

夕食はポリネシア料理。

10/20(火)朝から天気がいいので京葉道から中央道で八王子へ。

高尾山登山。富士山が見えた。

青山で弟と夕食し、アクアライン経由で八街に戻る。移動距離は291km。

10/21(水)帰路につく。大洗へ。

エスプーマのかき氷。

なんと、車が縁石に乗り上げ腹打ち。マフラー破損のため応急処置してもらう。

長女がバイクで送ってくれた。大洗港まで91km。

10/22(木)13:30苫小牧港着。岩見沢まで72km。

以上、12泊13日。車の総移動距離2,301km。

北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、新潟、富山、岐阜、長野、群馬、埼玉、千葉、東京、茨城の1都1道13県。

東日本大震災の被災地を歩いたのは6年ぶり9回目。

初めての妻との二人旅。コロナで帰省できないでいる長女と会うこともできた。

退職してなければこんな旅はできなかった。

被災地を歩くと複雑な思いが去来するが、新たな刺激を受け、よい旅ができた。

無事帰ってこれたことに感謝している。