誰もが自由に表現できる社会

今日でブログの連続投稿が293日となり、記事数は398になる。

こうしてみると馬鹿にできない数である。

ここまでかけてきた時間も労力もけして小さなものではない。

基本的には延々と独り言を続けているだけなのだが、

書き続けることにより思考が整理され、以前よりも文章を書くことが苦ではなくなっている。

ここまで続けてきてメリットだらけだと思っている。

読者が少しずつ増えていて、中には感想を教えてくれる人もいる。

とてもありがたいことである。

昨日、古い友人と会ったのだが、

彼も私のブログを読んでくれていて、感想を話してくれた。

その中で、

私がブログの中で直接指摘したことだけでなく、その文脈の支流となる部分に刺激を受けたという話をしてくれた。

この話を聞いて私は、ブログを書いて本当に良かったと思った。

こう書くと、誤解されてしまう可能性があるのだが、

私は、自分の意見に共感して欲しくてブログを書いているわけではない。

共感してくれないよりは共感してくれた方が嬉しいかもしれないが、

共感してもらうために書いているわけではない。

私が何故ブログを書いているのかと言えば、

誰もが気軽に意見を表明する社会に近づけたいと思っているからだ。

そのためには自分が実践しなければと思い、わざと好き勝手なことを書いている。

私の専門外のことにも、専門外だからこそ意識的に踏み込んでいく。

完成度の高い立派なブログを書く必要はないと思っている。

完成度が高過ぎるブログは、

誰もが発言しやすい社会を目指す観点から考えると、逆効果かもしれない。

内容や書き方が稚拙であっても、その時に思っていることを素直に表明する姿勢を大切にしている。

身の丈に合わせたスタイルで自由に表現するブロガーがたくさんいたら、

色んな意見や視点に触れる機会が増え、今よりも面白い社会になると思っている。

だから、

昨日私が友人からブログの感想を聞いて、嬉しかったのは、

思っていることを素直に表現する姿勢に共感してくれる人がいることを実感できたからだ。

彼は、私のブログから何かしらの刺激を受けたようであった。

私もたくさんの人の感じ方、考え方に触れることにより、人生をより豊かなものとしていきたいと思っている。

私がタブーへの挑戦をしかけるたびに心配してくれる人もいるのだが、

振り返ってみても、私は当たり前のことしか言っていない。

過激なことは何も言っていないはずだ。

そもそも目立つことを目的としているのではない。

主張が先鋭化し、現実と対立してしまっては本末転倒だと思っている。

今の凝り固まった現実を少しずつ流動化させ、ごく自然に未来への流れを作っていきたい。

今までの私のブログは自己紹介の色彩が強かったと思うが、

これからは、いくつかのテーマについて掘り下げて書いていきたいとも思っている。

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