今日は大船渡から米沢まで約300km移動した。
午前中は津波被災地を巡り、午後は内陸の山形に入り、夕方に米沢に着いた。
今日の訪問地を振り返るようにして順番に書き始めたが、長くなりすぎるのでやめた。
とりあえず以下にまとめておく。
大船渡から石巻の海岸線もほぼ切れ目なく防潮堤が張り巡らされ、海がほとんど見えなくなった。
次々と新しい道路が作られているがお荷物にならないか心配。
気仙沼は漁港や鹿折唐桑を見る限り街の機能と賑わいを取り戻してきているが、
陸前高田と南三陸は大規模な嵩上げと再開発が急ピッチで進んでいるものの復興にはまだ時間がかかりそう。
南三陸や気仙沼の復興商店街は賑わっているが、歌津はやはり寂しくなった。
旧気仙沼向陽高校校舎や南三陸旧防災対策庁舎、石巻の旧大川小学校などは貴重な震災遺構として位置づけられ、周辺地域とともに復興祈念施設としての整備が進められている。
今日に関してはこんなところ。
昨日の八戸から今日の石巻まで、2日がかりで三陸をなぞってきた。
今も頭の中を色んなことが駆け巡っている。
個人的な印象を述べるとすれば、
津波被災地には相当なお金が流れているが、
地域社会や住民の生活のための復興事業というよりは、経済の鼓動を止めないよう、無理やりに心臓を動かしているように見えてしまう。
ここにいながらも、道路や防潮堤を作りながらも、当事者自身が心ここにあらず、、みたいな。
そのように感じているのは私だけではないはずだ。
新しく作られている道路にせよ、防潮堤にせよ、
地域のお荷物にならないか心配になってしまう。
お金に振り回されない価値観とライフスタイルを確立しつつある人もいるはずだが、
今は地域全体がお金に飲み込まれてしまっているように見えてしまう。
今日は午後に内陸の作並温泉から天童、山形、南陽、米沢と見てきたが、
やはり津波被災地とは雰囲気が違う。
どちらがいいとか悪いとかではない。
経済は無視できないが、これからの時代の軸はお金ではないと私も思う。
三陸で急速に増え続ける殺風景な道路と防潮堤。
どうにかならないものだろうかと考えながら、
私は、米沢牛を扱うお店で牛丼を注文していた。

これは美味しい。なんだか元気が出てきた。
情景が目に浮かびます。私も1年前ほどに同じルートをたどったことがあります。そして同じく、「そのように感じ」ますね。
ぱるおじさん、こんばんは。海から切り離されていく感じが、、私にはどうにもしっくりきません。