今日は屈斜路コタンのイチャルパに参加してきた。
イチャルパはアイヌ民族の先祖供養である。
直訳すると「それを撒き散らす」(イ=それ、チャルパ=撒き散らす)と言う意味であり、
文字どおり、設けられた祭壇にお酒や供物を撒き散らしながら先祖と対話をするのだ。

面白いのは、用意したお酒や供物を自分たちも口にしながら、ご先祖さまたちに話かけるようにして撒き散らす。
肉体を失っても先祖の魂は存在していると考え、
イチャルパでは生前同様、先祖とともに食事をし語り合う。
また、このイチャルパの前には、
まず屋内で火の神であるアペフチカムイに祈った後、
屋外の祭壇で大自然や村の守り神など12のカムイに向けても祈っている。

先祖供養を始める前に、日頃から身近なカムイたちに「これから先祖供養を行いますので、見守っていてください。」と祈るのだ。
イチャルパはアイヌ民族の先祖供養なのだが、
屈斜路コタンのエカシは、
アイヌ民族に限らず、参列者全員の先祖や、北海道開拓の時代に強制労働で命を落とした人たちなどへの慰霊でもあると話していた。
エカシのこうしたところに、私は、ワンネスにも繋がる精神性を感じている。
エカシの祈りは、
アイヌ民族の幸せだけでなく、他の民族、動植物、宇宙に散らばっている全ての魂の幸せを祈っているように感じられる。
大自然の中で全ての魂が手と手を取り合い、心を響かせ合う。
普段当たり前だと思っていることも、けして当たり前ではない。
たくさんの奇跡が重なって私たちの今がある。
だから、
美味しい水をありがとう。美味しい空気をありがとう。
今日もそんな気持ちで、たくさんの人たちとともに祈ってきた。
今日参列していたのもアイヌ民族の方々だけではない。
地元の町長、教育長、国会議員をはじめ、地域住民、道内各地から有志が一堂に集い、ともに祈った。
エカシは、
屈斜路コタンのイチャルパは今日だが、祈りは今日だけではなく、普段の生活の中にこそあるとも話していた。
明日からも大地の恵みに感謝し、祈り続けたいと思う。