体に残る古い記憶を眺めている

今朝は久しぶりに緊張が抜け、リラックスしている。

そして、昨日までのことを振り返っている。

一昨日、昨日と私は大事な仕事に当たっていたのだが、役割を果たすことができなかった。

ツアーガイドとして外国人に英語で説明する仕事なのだが、緊張して言葉が出てこなかった。

仕方なく私は日本語で話したのだが、十分な仕事ができなかった。

申し訳ないことをしたので反省しているが、落ち込んではいない。

落ち込んでいても仕方がないからだ。

失敗は失敗だが、すでにこれからどうするかに集中している。

そして、言い訳は無駄だが、分析は必要だ。

私があんな風に緊張したのは30年ぶりくらいである。

真っ白になって英語どころか日本語も頭に入ってこなくなっていた。

全身が硬直し、頭に浮かんだ言葉も出てこなくなる。

この感覚は幼少期にはよく起きていた。

何かのせいにしたいわけではない。

よくも悪くもない。今回、こうなったのには理由があると思っている。

今の私が向き合うべきものがそこにあるのだと思っている。

だが、必ずしも理屈で突き詰めていく必要があるとは思っていない。

気にしすぎることではないが、知らんぷりすることでもない。

私の人生において避けることのできない通り道なのだと思っている。

もしかすると、同じようなことがまた起きるかもしれないが、それでもそれが悪いことだとは思わない。

身の回りで起きることはよくも悪くもない。

そこから様々なことを感じ取りながら、自然に任せるように、より心地好い流れを作っていくだけだと思っている。

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