私の27年間の公務員時代は保健福祉系を担当することが多かった。
去年の春までは児童相談所に勤めていたのだが、
離れて一年半経つにもかかわらず、つい最近のことのような気がしている。
しかも3年3ヶ月しかいなかったのに、10年くらい児童相談所に勤務していたような感じである。
子どもたちの安全を確保するために一刻を争う場面など、ほんの数時間の出来事が数週間くらいに感じることもあった。
今もリアルにその時の状況が胸によみがえってくる。
息つく暇もなく次から次へと新しい案件が舞い込み、果てしない緊張が続いていた。
当時の私はテンションを上げっぱなしにすることによって乗り切っていたが、心身にかなりの負担が蓄積してもいた。
携帯の電源を落として熟睡しても、服薬しても血圧が下がらず、医師から強制的に出勤を止められたこともあった。
今、当時のことを振り返っているが、
自分のことよりも関わってきた子どもたちの顔が思い出される。
彼ら彼女らは今どうしているだろうか。
私は里親を担当していたので里子たちのことが頭に浮かぶ。
何人かは20歳を過ぎ、里親の家を離れているはずだ。
自己肯定感を酷く損ねていたあの子はどうしているだろう。
昨今はヤングケアラーの問題も指摘されているが、要保護児童の中にもそうした問題を抱えたケースがいくつかあった。
ネグレクト家庭において、躾と称して子どもに家事などの負担を押しつける親も少なくない。
子どもたちはそれが当たり前になってしまうのだが、
家事や弟妹の世話に追われ、友人と遊んだり宿題をする余裕もない生活を余儀なくされている。
一見して大人びていたりするのだが、満たされない心の不全感は相当なものであり、
親を尊敬できなかったり、日常的に自分自身を責めやすく、
成長とともに精神のバランスを崩してしまうことがある。
現状ではこうした子どもたちを救い出すのは難しい。
児童相談所で保護し、里親に預けることができるのはごく一部である。
一般論として、小学生以上になると里親に預けたくても困難なことが多い。
実家の特殊な文化が体に染みついてしまっていて、修正が難しいだけでなく、里親の負担が大きくなる可能性が高いからだ。
だから小学生以上になると施設に入ることが多いのだが、
彼らの心は施設では満たされないことが多い。
結局は心のバランスを崩し、何かしらの問題を引き起こしたりする。
やがてそこに居られなくなり、移った施設でも問題行動を繰り返す。
ついにはどこにも居場所がなくなり、やむなく里親さんにお願いするケースもあった。
里親さんの深い愛情に触れ、たびたび問題を起こしながらも成長を遂げていく子どもの姿を見たことがある。
彼らは困難の前に屈するのではなく、喜びを胸に力強く歩み始めている。
完璧な家庭などどこにもない。
どんなに恵まれた家庭に育ったとしても、苦労しないで済む人などいない。
誰であれ、自分で道を切り拓いていくしかない。
児童相談所でたくさんのケースと向き合い、私自身も刺激を受けてきた。
私の心にも古い傷がある。何かの拍子に傷が開いて膿と血が噴き出す。
ちょっとおっかなびっくりでいるが、今さらたいしたことでもなさそうだ。
血を流しながらも私は生まれ変わろうとしている。
児童相談所での経験が、今の私の原動力となっている。
福祉に関心を持ち始めた高校生の姪っ子が、ヤングケアラーについて調べている。
姪っ子は、私の中に潜む何かにも気がついているのかもしれない。