日本語の「考える」をアイヌ語で表現すると、

「ヤイコシラムスイェ」になると言われている。

ヤイコシラムスイェを語意分解すると、

ヤイ=自身、コ=〜に向かって、シ=自ら、ラム=心、スイェ=揺らす

となり、

直訳すると、「自分自身に向かって、自らの心を揺らす。」となる。

これが日本語の「考える」に相当する言葉として一般に受けとめられているが、

私は、ヤイコシラムスイェを言い表す言葉は今の日本語には存在しないと思っている。

厳密に言うと、日本語の「考える」とアイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」は別物だと思うのだ。

かつてアイヌ民族は、

「自分の頭の中で理屈をこね繰り回すだけでは考えたことにならない。」

そのように考えていたのではないか。

元々は、アイヌ民族に限らず、私たちの祖先は日頃から自分たちの心が神々と繋がっていることを実感しており、

神々から受け取るメッセージを無視した自分勝手な理屈は考えのうちに入らないとしていたのではないか。

心を震わし、神々の声を聞くことなしに物事を考えることなどあり得なかったのだと思う。

神々との関係性が著しく後退した現代社会においては、理解されずらい感覚である。

だから、現代の日本語にヤイコシラムスイェに相当する言葉は存在しない。と、

私はそう思っている。

だが、今のような社会だからこそ、この言葉、ヤイコシラムスイェの意味が響くとも言える。

自らの心を揺らしながら、私も考えてみたい。