クーチンコロの目に吸い込まれそうになる

クーチンコロは、江戸末期から明治初期にかけての旭川アイヌのリーダーである。

松浦武四郎が蝦夷地(北海道)を探検した時に案内役を務めたことと、

旭川アイヌに対する石狩浜への強制移住命令に異議を唱え、明治政府の役人を論破したことで有名な人だ。

この肖像画を見ていると、その目の奥に吸い込まれそうになる。

その時代、アイヌの男は強制労働に駆り立てられ、女は商人たちの慰み者にされていた。

濡れ衣を着せられ、酷い差別を強いられ、

土地を追われ、伝統的な風習を禁じられ、言葉まで奪われてきた。

先祖代々、大切に受け継がれてきたものが、まさに自分たちの目の前で和人の手によって無造作に破壊されている。

当時のアイヌの人たちはどんな思いでいたことだろう。

その中にあって、

クーチンコロもアイヌ民族の一人として、地域の同胞のリーダーとして激動の時代を生き抜いてきた。

今、私はそこに思いを馳せている。

道民のほとんどはこうしたことから目を背けている。

あまりに重く、とても背負いきれないと感じ、触れようとしない。

その気持ちはよく理解できる。

理解はできるが、それで済むかと言えば済まないと私は思っている。

どんなにとぼけていても、時が経ってもしこりはなくならない。

とぼけていること自体が差別の上塗りだからだ。

アイヌの人々への差別は、無関心という形に姿を変え、今も繰り返されている。

そしてそれは、広く道民、日本国民にとっても重い足かせとなっている。

私たちはいつになったらここに向き合うことができるのだろう。

及び腰な私たちを尻目に、外国人が北海道の歴史に強い関心を持ち始めている。

北海道の雄大な自然と、そこに育まれてきた精神文化に強い関心の目を向けている。

世界中で先住民族の権利回復が叫ばれてもいる。

アイヌ民族の尊厳を著しく傷つけてきたことに引け目を感じるのも無理もないが、

ここに住む者がいつまでも何も知らないでいるわけにはいかないだろう。

道民であるなら、

素直に歴史を見つめ直し、

縄文以来の精神文化の価値を認め、

アイヌの方々と手を取り合い、ともに歩むべきだ。

その姿勢を示さないと、やがてこの国は国際的な信用を失うことになると私は思う。

肖像画に描かれたクーチンコロの目はとても優しい。

私は、クーチンコロに飛び込むつもりで怖がらずに今を見つめていく。

そうすることによって、過去を乗り越え、未来に向かって歩いていきたいと思っている。

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