昨夜は夢の中で酷く孤独な感覚を味わっていた。
その証拠に、目覚めてからもその感覚が体のあちこちに残っている。
だが、全然たいしたことではない。
今朝も爽快である。
生きていれば、どうしようもなく悲しいこと辛いことに直面するが、
落ち込んでるヒマはない。
無理をしているわけではない。
私たちに降りかかってくるのは辛く悲しいことばかりではない。
生きているだけで、それだけで感謝の気持ちが湧いてくる。
当たり前に感謝することさえできれば、どんなに困難でも、同時に嬉しいこと、楽しいことにも気づくことになる。
どうせ生きるなら、全て受けとめてその上で生き生きとしていた方がいい。
それだけのことだ。
私は、
この世に生命を与えてくれた、神様なのか何なのかよくわからないが、とにかく生まれてこれたことに感謝している。
今朝もこうして空気を吸えて、水を飲むことができる。
だから生きている。
心からありがたいことだと思う。
私たちは人として生まれてきた。
人ならではの悩みや苦しみがあるが、私たちも急がなくてもいずれ死ぬ。その時まで人として味わえるものを存分に味わっておいた方が得だと思っている。
苦しみ悲しみだけでは消化不良を起こし、死にたくても死にきれないような気がする。
私は4年前に元気だったニ女を突然の病気で亡くした。
今まで受けてきた悲しみも苦しみもなくならない。おそらく忘れることもない。
だが、私は悲しみや苦しみから逃れたいとか忘れようとは思っていない。
今を忠実に大切に生きることによって、
悲しみや苦しみをはるかに上回る、嬉しいこと楽しいことがたくさん降りかかってくると思っている。

二女は今も私を見ている。
私にできることは、今を生きることだけだ。
二女の分まで生きることはできないが、せめて自分の人生はまっとうしたい。
だから、
悲しみ苦しみを抱えながらも、喜びに満ちた生き方を貫きたいと思っている。
私たちは、今を忠実に生きることによって悲しみや苦しみから自由になれる。
私はそう信じ、今もこうして生きている。