今朝は「知識」について考えている。

心豊かに生きていくために、知識の使い方と言うか、知識との向き合い方が大事だと思うのだ。

私は、あらゆるものを有効に機能させたいという発想から物事をチェックする習慣があるのだが、

知識についても、自分の人生や周りの人たちにとっていい形で使いたいと思っている。

そのために、様々な切り口から知識と私たちの関係性についてチェックするように心がけている。

ここで全部を挙げるわけにはいかないのだが、

わかりやすいところで、

今、私たちの社会は知識をうまく使えているだろうか。

私が思うに、

その有用性以前に、知識を媒体にした社会的差別が気になっている。

有名校に進み大企業に勤めることができた人は優越感に浸り、

たまたまそうならなかった人は必要以上に卑屈になっていたりする。

権威が強力に立ち塞がり、格差を助長し固定化する要因になっている。

ものが言いづらく、社会全体が閉塞感に包まれている。

などと、私は感じている。

もちろんこれだけではないが、そんなことを感じているのは私だけではないはずだ。

それから、

私たちは、心豊かに生きていくために価値のある知識を獲得できているだろうか。

私は、

学校教育で押しつけられている知識が必ずしも価値のあるものであるとは思っていない。

現状の教育システムを、差別化を目的とした仕組みであると直感している人も少なくない。

そう感じている人が学校の勉強に向き合えるわけがない。

結果として、今の教育現場は、

従順な者を優遇し、従わない者を排除するという、権力による支配を強化するためのシステムとして機能していると言わざるを得ない。

事実上、人生において必要な知識を獲得することは二の次になっているのではないか。

このように感じているのも私だけではない。

もっとシンプルなところで考えてみたい。

私たちは自分が欲しい知識、真に必要と思う知識を身につけているだろうか。

あんなに急かされるようにしてたくさんのことを押しつけられてきたのに、大事なことがわからないまま、いきなり社会に放り出される。

そして、社会に出てからも忙しく振り回されるばかりで、新たに有効な知識を獲得できることは少ない。

自分の頭で学び考える習慣を奪われ、そのことに気づくことさえなくなってしまっている。

他にも色々あるのだが、これらは客観的に現状を見つめた時に無視できないことだと思う。

こうしたことを明確に自覚しながら、

その上で今をどう生き、

どんな未来を目指していくのか。

一人ひとりが地道な歩みを重ねていくことが求められているのだと思う。

具体的には、

優越感に浸っているつもりの人は不当な差別をする側になっている可能性があるし、

学歴がないからといって卑屈になる必要もない。

また、私たちが学校で身につけた知識にどれほどの価値があるのか、あらためて考えておく必要もある。

まるで試されるようにして押しつけられてきた、使えない知識にいつまでも執着している場合ではないはずだ。

むしろ学校以外、社会に出てから学ぶことの方がはるかに大切である。

知識を使いこなしているつもりの人の中には、無意識のうちに知識に支配され、自分自身の首を絞めていることに気づいていないことも多い。

例えば、やたらと知識をひけらかす人がいるが、私はそういう人の前では絶句してしまう。

何故かと言うと、

その人と同じレベルでこちらも話し始めたら、永遠に話していないといけないと思うからだ。

そもそもそんなことは物理的に不可能である。

仮に可能だとしても、何も生み出すものがないから、話そうとも思わない。

何故なら、こっちが求めてもいないことを延々と話すような人は、ほぼ例外なく人の話を聞かないからだ。

相づちだけは上手で機械的に聞いているかもしれないが、そこに最低限の思考が伴っていないと感じたら、こちらとしては何も言葉は出てこない。

 

おしゃべり好きな人がみんなそうだというわけではないが、

一般的な傾向としては、だいたい当てはまるのではないか。

これは、日本の教育のあり方も影響している。

彼ら彼女らは、自分が知識を持っていることを周りに知ってもらうことによって、自分の居場所を確保しようとしている。

要するに、世知辛いこの世の中で生きていくために、権威性を獲得するために必死なのだ。

だがこうした態度や行動は、社会に蔓延っている不当な差別を強化するものであり、それではいつまで経ってもよりよい未来は望めない。

一生懸命な気持ちはわかるが、客観視点と想像力が欠落してると言わざるを得ない。

知識はひけらかすものではなく、実生活の中で生かすべきものだ。

知っているだけではダメだし、使う気のない知識なら必要ない。

根拠のない不健全な優越感の種になるような知識なら、ない方がいい。

無駄な知識に縛られてしまっている人は少なくない。

このことに気づくだけで、知識などさほどなくても卑屈にならず、これからの自分が向かうべき方向性が見えてくる。

元々自分の中にある活力を素直に引き出す力、それが本物の知識、知恵だと思う。