先日、ある知人と夕食をともにした。

彼は私より6歳年下で、今は某地方自治体で働いている。

彼は私のブログを読み、新たな歩みを始めた私と話をしたいと言ってきた。

彼自身も今の行政のあり方に強い違和感を持っているようである。

彼の近況やこれからの生き方、行政機関のあり方などについて話ができるかと思い、共通の知人も加わって3人で会った。

会ったのだが、

正直なことを言うと、私にとっては有意義な時間ではなかった。

それどころか、久々になかなかの苦痛であった。

彼は日頃から政界マニアを自認していることもあり、次々とその筋の話が出てくる。

その大半は、いくら聞かされても私にはどうでもいい話である。

政治の話なら私もそこそこ知っているが、この場で私が話したいと思うことはそれほど多くない。

だが彼の話は終わらない。終わったかと思ったら、すぐにまた同じような話が始まる。

いつまでこんな話をするつもりなのか。

今この話を持ち出すことがいったい何になるというのか、この人は何が目的なのかと思いながら、とりあえず聞いていた。

彼の真意はわからないが、私は、要するにこの人は自慢したいのだと感じていた。

色んなことを知っていて、凄い人だ!と思われたいのだ。

と、思ってしまった。

その瞬間に全て白けた。

もちろんこれは、私がそう思ったということに過ぎない。

彼は彼なりに経験を重ね、深みのある人間なのだ。

そう思って、私は彼と会ったのだ。

彼は何かを持っているはずだ。

と思いながら彼の話を聞いていたのだが、私は、何かしらの手がかりを見つけることができなかった。

見えている世界の違いを感じ、

私が何か話しても、彼には私の話すことの意味が半分も伝わらないだろうとも思った。

しばらく聞いているうちに私は絶望し、ほぼ気絶状態になった。

共通の知人が察してくれたので、なんとか区切りをつけることができたのだが、

振り返ってみても、実につまらない時間であった。

私の感覚では、人と会うということは、その人の時間を奪うことだと思っている。

私が暇をしていると思っているのかもしれないが、それはとんでもない思い違いだし、とても失礼な態度だ。

今の私は雇われている人と違い、24時間365日全ての時間で勝負している。

自分の時間と向き合うために仕事を辞めて挑戦しているのだ。

私の生き方に興味があるということは、こうした基本的なところを踏まえているのだと思い彼と会ったのだが、何がなんだかわからなくなった。

私なら、誰かと会いたいと思うなら、どんなに親しい関係であるとしても自分の胸のうちを何度も確かめるし、相手の立場に立ってよく考えた上で申し込む。

これは、わざわざ教えられなくても最低限のマナーだと思っている。

私の勘違いだと思いたいのだが、彼にはそうした思考回路がないように感じてしまった。

私は彼のことを信じているが、あの夜は本当に苦痛であった。

私にはやることがたくさんある。

他人の自己満足に付き合っていられるほど暇じゃない。

私にはよくわからないが、彼は彼で思う道を進んで欲しい。

うん、やはりあの時のことは忘れたい。

こうしてブログを書いたので、区切りをつけようと思う。

高校の同級生の店で超絶美味しい麻婆豆腐を食べていたはずなのだが、ほとんど覚えていない。

なので、また近いうちにすすきのくま蔵に行こうと思っている。