久しぶりに会った人に仕事を辞めた話をすると、

「おお、やっぱりそうなるよね。よかったでしょう!」みたいに言われる。

実際、仕事を辞めて本当によかった。

私が公務員を早期退職して5ヶ月が経った。

どのビジネスも始めたばかりであり軌道に乗っているわけではないが、方向性に迷いはなく毎日とても充実している。

20年以上にわたり不完全燃焼していた公務員時代とは雲泥の差だ。

先日、ある筋からちょっとリアルな話を聞いた。

某地方自治体に務めている30代の男性職員が、制度の変わり目の混乱時に自作のシステムを使って国から表彰されるほどの成果をあげたのだが、

彼は今、時間外勤務がほんの少し多かったということを理由に服務上の違反を犯したとされ、組織内で冷遇されているという。

彼のことは私も以前からよく知っている。事務処理能力が高いだけでなく、社交性があり、心優しい3人の子どもさんのパパさんだ。

彼は相変わらず何もなかったかのように溌剌としているが、これからの生き方について彼なりに考えていることもあると思う。

彼はいつまでも狭い世界に留まっているような器ではない。

いずれその才能をいかんなく発揮できる場所を見つけるだろう。

在職していた頃の私もこうしたことをたくさん目にしてきた。私自身も理不尽な目に遭ってきた。

耐えることなど簡単だが、

耐えることが何になるのかと考えた時、限られた人生の貴重な時間を無駄にし、心と体をすり減らしてしまうだけなら、

どこかのタイミングでそこから離れて、本来向き合うべきことに向き合わねばならないと思う。

力のある人はだいたいそうしている。

私自身にはどのような可能性があるかはわからないが、目の前のことにひとつひとつ向き合っていくだけだと思っている。

全てのご縁に感謝し、今を大切に生きていく。

これだけで十分過ぎるくらいの幸せを感じている。

ある役割を果たしていく過程において何かしらの肩書がつくことがあるかもしれないが、私自身は地位や名誉に関心がない。

私は私として、しっかり大地の上に立つことだけ考えている。

絶滅種への思いを込めた鎮魂詞曲舞の中で、

大地を踏みしめるタプカラを舞いながら、あらためてその思いに包まれている。

今の私から飛躍した遠い姿を考えてもピンとこないが、全ての可能性を受け入れていく覚悟はできている。リミッターは既に外している。

早期退職を決断した勇気と馬力を褒めてくれたり、すぐにでも大きな勝負に出るべきだと言ってくださる方もいる。

それはそれでとてもありがたいことだが、私は私のペースで歩いていく。

私の毎日の生活は、大自然に守られ家族や地域社会などの周囲と調和した、穏やかで地道なものだ。

その中で決意などしなくても、その時その時にやるべきことが見えてくると思っている。

本当に自由になると選択肢が増えるが、歩くべき道はすっきり見えていて、迷いはないものである。

ここまで来たら、自分の思うがままに、楽しく好きなように歩くだけ。

それが私に課せられた役割だと思っている。