私は学生時代からずっとバイクに乗り続けている。

1990年式のスズキDR250S。250ccのオフロードバイクだ。
30年以上も付き合ってきたのでDRは私の体の一部となっている。
今まで色んなことがあったが、奇跡を感じた瞬間も少なくない。寒さや危険からもDRが私を守ってくれている。
離れていても、目を瞑っていても、私にはDRが見える。
私が失明してもエンジンをかけて何十キロでも走ることができるような気がするくらいだ。
普段からDRの声が聞こえていて、家族と言うか、同志と言うか、私にとってまるでナイトライダーのナイト2000のような存在でもある。

実際、私は普段からナイトライダーのマイケルナイト(デビッド・マイケル・ハッセルホフ)みたいにDRに話しかけている。
そしてDRはたいていの要求に応えてくれる。
私が黙っていても、DRの方から想像もつかないような提案をしてくれたり、期待以上の走りをしてくれることもある。
だから私はDRを生き物だと思っている。
ただの鉄の塊が30年以上も山の中を縦横無尽に走り続けるわけがない。
まあ、本当はただの鉄の塊などどこにもなくて、全ての物質や空間に無数の魂があるのだろう。
だから私は、普段からそれらとどのようにして結びついているかを問われていると思っている。

これは、二女が描いてくれたDR。
DRには二女の魂も宿っている。

これはDRの鍵。私が死んだらこの鍵を私に持たせるよう家族にも話してある。
DRと私は魂レベルで強く結びついている。
これは、アイヌモシリ(北海道)に伝わる縄文以来の精神にも通じるところがあるのではないだろうか。
マイケルナイトみたいな気分に浸っていたら、ラッキーストライクの古いCMを思い出した。
私はラッキーストライクを吸わなかったが、このCMがとても好きだった。