結果にコミットする

今、「事実とは何か」ということについて考えている。

例えば新型コロナウイルスの危険性について。

新型コロナウイルスは現在進行形で新規感染者が増え続けている。

おそらくこのことは事実として間違いない。

100%鵜呑みにしているわけでなくとも、一般にはそのまま事実として受けとめられている。

問題はここから先である。

感染者が増え続けているということをどう受けとめるか。

その答えは一つではない。地域や人、タイミングによっても様々な考え方が出てくることになる。

私自身は新型コロナウイルスが他の感染症と比較して特別に危険であるとは思っていない。

だが世界はパンデミックと呼ばれる事態に怯え、人、モノ、金の動きにも強力なブレーキがかかったままである。経済活動が著しく制限され、先の見通しも立っていない。

このような事態も紛れもない事実であると言える。

大部分の人は現状を冷静に受けとめているが、猛々しく怒っている人もいる。

「どこの誰かによる陰謀」だの、「大衆は情報に躍らされている」だの、「管理社会に向かっている」だの、他にも挙げだしたらきりがない。

考えようによっては全て一理ある。わざわざ指摘するまでもなく多くの人の頭に浮かぶことばかりである。

そして、その一つ一つに対して、事実だ、いやデマだと、不毛な論争を始めるのも予想どおりである。

新型コロナを巡って不穏な空気が流れ、社会の分断が顕在化しているが、私たちはこのことをどう考えるか。

ウイルスの人体への影響やワクチン開発などについても諸説あるが、私は、そんなことは正直どうでもいいと思っている。

そうしたことへのこだわりが過剰になると、社会は混乱する傾向にある。

正当性を主張する者同士が火花を散らし、権威を巡って激しく対立したりする。

反動的な緊張感からお互いを縛り合ったり分断を誘発する動きが生じてくる。

それらがエスカレートしていくと、感染症の蔓延よりも私たちの生活を圧迫することになりかねない。

大量の情報にやたらと振り回されているのが今の私たちの現実である。

そこにはもはや良いも悪いもない。

そして、このような状況下で何かを主張したところで不毛な足の引っ張り合いに巻き込まれるのが関の山である。

諦めるわけではない。だが、声を張り上げさえすれば解決できるものでもない。

叫ぶことが必要な場合もあるが、叫ぶだけの人がいくら増えても世の中のムードがさらに悪くなるだけだ。

じゃあ、どうしたらいいのか。

それはそれぞれが考えることだと思う。

それぞれがそれぞれの信念に基づいた生き方を実践していくことに尽きると思う。

現状を踏まえつつ、それぞれが望ましい未来にどのようにしたら近づいていけるかを考え、その上で理に適った行動をとる。

足の引っ張り合いや分断が沸き起こることが予想される場合、そこで声を上げようとは私は思わない。

私自身は主義主張の正しさよりも、実際にどんな現実を作っていくのかにこだわっている。

飽くまでも結果にコミットしていく。

事実や現実は、今この瞬間から自分たちで作り出していくものだと思っている。

過去や他人の言説に囚われる必要はない。

急がば回れ。

私自身は、

家事をこなし、草木と対話し、家族や縁のある人たちとともに柔らかく温かい時を重ねていく。

その積み重ねが未来を変えていくと確信している。

そうした営みは今も世界中にたくさんあるし、これから広がっていくだろう。

理屈だけでは思う未来は作れない。今こそ、結果にコミット(責任を持つ、約束)した思考と行動が求められていると思う。

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