今、公務員の給与について考えていた。

公務員はその地位とともに給与についても安定的に保障されていると一般に解されているが、どうであろうか。

私自身は、貴重な時間の大半を奪われ、心身を擦り減らし続けている割には給与が少ないと感じてきた。

だがその一方で、もらい過ぎであるとも思っていた。

どういうことかと言うと、

毎日過酷な業務と向き合いながらも、給与に見合うほどの社会貢献ができていないと感じていたのだ。

この分裂したような感覚はけっこう辛かった。

私は、今の行政は十分に機能していないと思っている。

公務員個人の能力の問題ではない。

組織が大き過ぎて、古いやり方から脱げ出すことができていないのだ。

非効率で時代錯誤な組織文化にこだわることによって、膨大な時間とマンパワーをいたずらに浪費している。

現状のシステムのままでは、超有能な公務員が何万人束になって不眠不休で働いても何も解決しない。

どんなに優秀な公務員であっても、公務員個人は組織の歯車の一部でしかなく、誰が担当しても落ち着くところは同じ。それが今の行政組織である。

もちろん様々な試みもあるにはあるが、全体としては変わることができていない。

結果として、そこで多くの有能な人材を飼い殺しにしてしまっている。

このまま行政と社会との間の乖離が進めば、業務の効率や業務そのものの価値もさらに低下してしまう。

今は戦後続けてきたシステムが極度の制度疲労を起こしているのではないか。

元々行政には生産性を度外視した役割が課せられており、社会の歪みの緩衝地帯として機能してきた面もあるのだが、そこにも限界が近づいてきている。

行政機関を無くすわけにもいかない。とにかく機能させるしかない。

だが私自身も地方自治体の職員として長年働いてきたが、組織の体質を内側から変えるのはほぼ不可能であった。

このままだと確実に、沈みゆく泥舟になってしまう。

ならば組織の外側から変えていくしかない。

行政機関は国民の財産であり、国民自身がよく知ることが必要である。

その時の気分で非難だけしていても何も解決しない。

いずれは巡り巡って自分たちの首を締めることになる。

多くの公務員は生活や健康を犠牲にしながら今も懸命に働いている。

これ以上給与を下げてしまうと人材がいなくなり、さらに機能が低下してしまう。

給与水準は下げずに、行政の機能を取り戻すことに意識を振り向けるべきであろう。

こうしたことを政治家や官僚に丸投げしているようではダメだ。

公務員の給与は私たちの税金から支払われている。

公務員を無駄な緊張、無駄な業務から解放し、今の社会に即した働き方をしてもらう必要がある。

多くの人の目がここに向くことになれば少しずつでも、必ず変わっていく。

そうなれば、社会全体に生き生きとした活力の粒が生まれてくるに違いない。