私の場合、興味関心があればそこに近づくことはあるが、それは珍しいものに触れたからに過ぎない。

自分にとって刺激になり、プラスになると思うことに関わっている。

もちろん自身の信条に反することは絶対にしない。だがその対象に心酔することもない。

はっきり言うが、素晴らしいと思って近づいているわけではない。

私はこの世に素晴らしいものなどないと思っていて、今までもこれからも何かを崇拝するつもりはない。

無意識に何かを崇拝している人は少なくない。

そうした無意識の崇拝は、同時に、物事を差別化して見ているとも言える。

私は、差別的な思考に支配されたいと思っていない。

無意識の崇拝は、差別だけでなく依存心をも作り出していく。

私はどこにも依存しない。依存されるのも面倒なのでそれも避ける。

こうしたことを理解できなかったり、コントロールできない人との関係は永続的なものにはなり得ない。

面白いところがあると思い、近づいているうちに勘違いされることもある。

私は感謝はしているが、崇拝も依存もしていない。

だから支配もされない。