GoToなんちゃらとか色々やってるけど、新規感染者がこれだけいれば盛り上がりようがない。

夏本番を前に祭りの縮小や中止が目立ち、観光や飲食も相変わらず低迷している。

巷には「寂しい」、「悲しい」などという声が目立つが、、

私は、むしろ今の方が健全だと思っている。

元々、喧しすぎるイベントなど要らなかったのだ。

四季折々の、あるがままの自然をそのまま楽しむ。

せめて今年くらいはそんな年にしてみたいと思う。

祭りの起源は、自然への感謝の気持ちをベースとした祈りにある。

だが今は私たちの日常が自然から切り離されてしまっており、感謝の気持ちや祈りはすっかり形骸化してしまっている。

いつしかその根本精神は忘れられ、形式だけが惰性的な習慣となり、それが知らず知らずのうちに私たちを圧迫しているように思う。

その虚しさや寂しさを紛らわすために、ただ飲んで食べて騒ぐことばかりを繰り返してしまっているのではないだろうか。

そこのところを、今一度歩みを止めてよく考えてみたい。

静けさの中でしか感じ取れないことがある。

私たち日本人の遺伝子には、元々、大自然と共鳴し合うセンサーが仕組まれている。

今は、忘れかけていたものを呼び戻し、かみしめることができる、またとないチャンスだと思う。

私は、コロナ前の社会は無駄に動き過ぎだと思っていた。

忙しいのは仕事だけでなく、娯楽においても人工的な仕掛けだらけになっており、休日でさえのんびりする暇もなくなっていた。

このせわしなさが、気づかぬうちに私たちを疲弊させているのではないか。

長年にわたり経済至上主義に踊らされ続けてきた私たちは、いまだに前のめりになってしまうところがあるが、

私自身もここで一度足を止め、原点に立ち返ろうと思っている。