私は野球が好きだ。51歳になった今も時々草野球をしている。

野球を始めたのは小学2年の時。中日ドラゴンズの野球帽をかぶるようになったのがきっかけだった。

CとDを重ねたマークとドラゴンズカラーがお気に入りの私は、友達と競うようにして野球バッチを集め、帽子にたくさんつけていた。

北海道で中日ファンは珍しい。

当時は北海道にプロ野球チームはなく、テレビも巨人戦だけ。大人も子どもも巨人ファンがほとんどだった。

そんな中、私は、巨人の10連覇を阻んだ中日の野球にとても熱いものを感じていた。

子どもながらに星野、高木、木俣など個性的な野武士集団が醸し出す雰囲気の虜になっていた。

そんな私が野球にどハマりしたのは1976年秋。その主役は当時の打線の中核を担っていた谷沢健一である。

谷沢はシーズン終盤に打率ランキングで首位を走る巨人張本を猛追。最終戦に3安打し、なんと0.00006差で張本を逆転。初めての首位打者に輝いたのだ。

球界の盟主として君臨する巨人の誇る王、張本のOH砲。その張本を退けての初の栄冠。

10連覇を阻んだのも中日だし、張本の両リーグ首位打者を阻んだのも中日の谷沢なのだ。

さらに、谷沢は1980年にアキレス腱痛を克服。.369の高打率をマークし2度目の首位打者に輝く。

再起不能と言われた、走ることもままならないどん底からの奇跡の復活劇。

応援テーマが、私の好きな「帰ってきたウルトラマン」なのも気に入っていた。

とにかく私は谷沢に心底惚れ込み、今も超のつく谷沢ファンである。

谷沢さんが私の人生を変えたと言っても過言ではない。

谷沢さんの野球はとにかく楽しそうだった。

ライバルとの対戦で悔しい思いをしたことも数知れない。だが谷沢さんは不屈の精神で工夫を重ね、打ち返してきた。

さらに、怪我との孤独な闘い。

すべては野球への愛。

愛とはすべてに感謝し、その恵みに報いること。

谷沢さんは、小学生の私にもそのことを教えてくれた。

私は谷沢さんの全身から無限に溢れ出る野球愛を感じていた。

そして運命の日、2014年9月16日が訪れる。

あの日の私は東日本震災の津波被災地をバイクで巡っていた。

気仙沼鹿折地区の祭壇で手を合わせ、後ろに立っていた人に場所を譲ったのだが、

なんと、谷沢さんではないか!

驚きのあまり一瞬声が出なかったが、40年前からファンであることを伝えると、快く握手をして、写真まで撮らせてくれた。

この時の谷沢さんの手のひらの温もりは一生忘れることがないだろう。私の大切な宝物である。

そんな谷沢さんが、YouTubeを始めた。

視聴してみると、子どもたちに野球の魅力を伝えたいという谷沢さんの気持ちが随所に滲んでいる。

現役時代そのままに谷沢さんは野球を愛している。

この動画では、谷沢さんが現役時代のライバルとの対戦を振り返っている。

私もリアルタイムで手に汗を握る思いでその対戦を食い入るように見つめていた。

あの時の思いが鮮明によみがえってくる。

とても嬉しくて、野球をもう一度好きになった。そして谷沢さんに惚れ直している。