今の私は、日々思うことを意識的に話したり書いたりするようにしている。

ジャンルは限定しない。得意不得意も関係ない。

何故そんなことをしているのかと言えば、誰もが自由に発言するのが当たり前の社会を望んでいるからである。

そのために、まず自分から話したり書いたりするようにしている。

今の社会は自由にものを言うことが難しくなっている。

専門家や上級者以外は黙っていろみたいな空気がある。

とんでもない。冗談じゃない。

そもそも、人間は感じていることや思っていることを素直に表現するように設計されている。

そこを無理に抑え込もうとすると途端にバランスを崩してしまう生き物なのだ。

だが今の社会は、遠慮や我慢することを個人に強いてくる社会である。

会社でも学校でも、いちいち例を挙げて説明するまでもなく、素直な思いを圧し殺すことによって病んでいる人がこんなにもたくさんいるではないか。

私は、この現状を仕方ないことだとは思わない。

劇的に変わることは難しいが、せめてこれからの人たちがよりよく生きていくための流れを作っておきたい。

今、私たちが本当に必要としているのは、専門家や関係者からの権威ある正当なコメントなんかじゃない。

それぞれがどんなことを考え、何をしようとしているのか。

むしろ、こちらの方がはるかに重要だと思う。

この社会は、昔も今も無数の人の思考と行動で成り立っているのだ。

身近な事例を上げてみる。

例えば、明日の夕食はカレーとお母さんが一月前から決めていたとする。

だが、もしかしたら子どもたちの明日の給食もカレーで、別のものを食べたいと思っているかもしれない。

お父さんも明日の昼に会社の同僚とカレーを食べる約束をしてしているかもしれない。

普段から家族間の意思の疎通が行き届いている家庭であれば柔軟に予定変更することも可能だが、

それぞれが忙しくしているとコミュニケーション自体が不足し、個々の満足度よりも効率が重視されがちになる。

そんな中、夕食を作るのはお母さんである。つまり、この家庭におけるご飯の権威、専門家はお母さんだ。

お母さんも忙しい。

忙しい中、家族の健康や仕事の予定、材料の調達など総合的に考えて「この日はカレー」とあらかじめ決めているのだ。その他大勢の意見などいちいち聞いていられない。

だから家庭内の公式情報は「明日の夕食はカレー」だけになる。それ以上は何も無い。

結果、それぞれの事情に関係なく、明日の夕食もやはりカレーになる。

こうしたことが繰り返されるうちに、子どもたちにも感じていること、思っていることを我慢する習慣が定着していく。

忙しい親としては仕方がないし、これくらいのこと、子どもたちも慣れてしまえばどうということもない。

でも、どこか白々しく感じてしまう。

この白々しさが、私たちに本来備わっている活力を少しずつ奪っているとは思わないか。

別にカレーでも悪いことはない。だが、家族それぞれの事情や思いを理解しあった上で、その時みんなが食べたいと思うものを食べることができたらとも思う。

家庭にはそれぞれの事情があるので一概に言えないところもあるが、

とにかく、この視点を大切にしたいと思うのだ。

私たちの社会も同じだと思っている。

これからの社会はどうあるべきか。

それぞれが勝手なことを言い出したらまとまりがつかないと考える人も多いと思う。

だが、日頃から身近な人とのコミュニケーションを取りつつ、そこで最低限のバランスを保つだけのことなのだ。

今はわずかな摩擦さえも嫌う傾向にあり、誰も何も言わなくなってしまっている。

思いを押し殺すようにして自分の中に溜め込んでしまうから、心が病んだり、突然に爆発したりしてしまう。

だが、専門家や関係者の作ったレールの上を黙って歩くだけでは、社会的にも個人的にも心理的バランスを取ることなどできないのだ。

私自身は、まずは身近な家族から、日頃から互いの思いを表現し合うことを重ねていきたいと思う。

今は何か表現しようとすると、自己顕示欲が強い人としてレッテルを貼られたり、歪んだ競争意識をイメージする人も多く非常にやりずらい。

だがこのやりずらさは、支配する側が奴隷を黙らせるための仕掛けに過ぎない。

沈黙することは美徳でもなんでもない。それは階層奴隷社会の醸し出す不当な圧力に他ならない。

もちろんわがままだったり何でもかんでもが許されるわけではないが、とにかく素直な自分でいることである。

そこをしっかり積み上げていけば、近年指摘されている自己肯定感の欠落もかなり解消されていくはずだ。

それが社会の安定、安心感にも繋がっていく。

これは、児童相談所に勤務していた時からずっと思っていたことだ。

だから私はアウトプットし続ける。

私も基本は家庭。

家庭の延長線上で、そのままの姿勢で社会に向けてもアウトプットし続けていく。

特別なことでも何でもない。その時に感じた当たり前の思いを表現していく。

専門外のこともよく知らないことも、躊躇わずに話したり書いたりしていく。

アウトプットすることの社会的なハードルが下がればいい。

自然体で気楽に表現する人が増えていけば、社会の雰囲気も変わると思っている。