民主的な世の中になればいいなと、私もそう願っている。
だが、それは簡単ではないと言うか、今はあまり現実的ではないような感じもしている。
独裁者がいるから民主化が進まないと考える人もいるが、それは違うと思う。
民主主義が思うように機能せず、長引く停滞に痺れを切らし、時代が独裁者を要請しているのも事実だと思う。
好む好まないに関係なく、これが現実なのだと思う。
今の状況下で独裁者を排除できたとして、それで民主主義が機能するだろうか。
もちろん、独裁そのものが良くないという見方もある。
しかし、だからと言って民主主義が機能しているわけでもない。
とにかく政治を前に進めなくてはならないとなれば、必要に迫られるようにして独裁者が台頭してくるのも、ある意味で自然なことだと思う。
別に独裁を正当化したいわけではない。私自身も独裁社会はまっぴらごめんだ。
ここまでは、現実に起きていることをそのまま受けとめているに過ぎない。
その上で、いかにしてよりよい社会に近づけていけるかを考えねばならない。
個人の力は微々たるものだが、一粒の小さな思いでもやがて繋がり、少しずつ社会を変えていく。
だが世の中はすぐには変わらない。変化することを拒む者も必ず出てくる。
だから焦る。
焦ると、いつの間にか自分と違う考え方をしている者を憎んだり、非難したりするようになる。
憎まれたり非難されたりしたら、その多くは反発したくなる。言われたら言い返す。やられたらやり返す。
これが分断である。
分断が生み出すものは何か。
ただひたすらに憎しみあい、誰の心も休まらない社会。
何よりも大切な、今というこの瞬間を、辛く悲しく不安な感情で塗り潰してしまう。
これを、機能していない民主社会や抑圧に包まれた独裁社会と比べてマシと思えるだろうか。
時に、支配する側は独裁者でなくても分断を利用する。
手っ取り早くその支配下に人々を縛りつけることができるからだ。
そして、その時には敵対する対象があった方が求心力を得やすくなる。
民主化が進まず、独裁も嫌われるとなれば、民主的なやり方に見せかけて、(分断を利用してでも)支配を続けようと考える。
今の世界、日本もそのような状況なのかもしれない。
あらゆるところで分断が起きている。
この分断の時代の先にはどんな未来が待っているだろう。
私は悲観ばかりはしていない。
やはり分断そのものを嫌う人が増えていると思う。
世界は一律にはなり得ない。多様性を認めあうしかない。
表現することを我慢したり、我慢させたりするのではなく、表現することを躊躇わなくなっていく。違いを認めあう方向に傾いていくしかない。
そのために、自ら感じていること、考えていることを表明する人が増えてきている。
結局のところ、自分と違う考えの人たちと建設的なやり取りを重ねていくしかないのだ。
民主社会の基本に立ち返ることになる。
それでは世の中は動かない、結局停滞社会に戻ってしまうと考える人もいるが、ここは再チャレンジすべき時だと思う。
何故なら、以前とは議論のあり方も変化しつつあるからだ。
それぞれが勝手なことを言い合うだけなのは、これからは議論とは呼ばない。
互いに相手の立場も考慮しつつ、現実的で有効な道筋を作りあげてゆく。
綱引きの末の妥協の産物などではなく、立場の違いを認めつつ全体社会の方向性を確認しあう行為が重ねられていく。
数ヶ月前までは、グローバルな経済システムが世界を席巻し、個性が打ち消されていく流れの中にあったと思うが、
アフターコロナでは社会の多様性が再び認められていくようになる。
分断に囚われない社会を期待したい。