生きていればそれだけで色んな出来事に直面する。

そしてその度に、

嬉しい楽しいだけでなく、辛い悲しい、悔しい腹立たしいなど、人はたくさんの複雑な感情に包まれる。

これが人間として生まれてきた宿命なのだろうが、そもそも感情とは何か。

これは私の解釈なのだが、心と体に張り巡らされたセンサーから取り入れた情報を頭で解析処理する時に発する、摩擦熱のようなものではないかと思っている。

脳も含めて人間の体も大自然の一部に違いはない。

そう考えると、脳で起きる摩擦熱つまり感情も人工的なものとは区別されるかもしれない。

その証拠に、感情をコントロールしようとしてもなかなかできない。

環境によって複雑に揺れ動く人間の感情も、自然現象の一つであると考えることもできると思う。

人間以外の動植物にも感情のようなものがあるかもしれないが、

今をそのまま受け入れるということが圧倒的に普遍的なベースとなっているように思う。

だが、人間は頻繁に感情に支配されそうになる。

感情とは、ある種の思い込みとも言え、人間はそれぞれの思い込みの中で生きるしかない。

そのことに自覚的であれば、感情の波に極端に振り回されることはないはずだが、ふとした瞬間に飲み込まれそうになる。

わき起こる感情そのものをコントロールする場合もあるが、あまりコントロールし過ぎるとどこかに必ず無理がかかる。

だから、感情の波を一旦はそのまま自然体で受けとめ、その上で、自己を見失うことなく、穏やかな今を作り出していきたいと思う。

例えば腹のたつことが起きたとして、そこで何かのせいにしても何も解決しない。

自分から見て障害に感じているものを無理矢理にでも取り除きたくなるかもしれないが、

仮に取り除くとして、その過程で自分自身の中でどのような心の動きがあるだろうか。

その対象はその後どうなるのか。周囲にどのような影響が及ぶだろうか。

ほとんどの場合、取り除こうとしても取り除くことはできないし、取り除くことを考えるだけで、新たに余分な熱が発生することになると思う。

腹立たしく思っていたが、単にこちらが勘違いしているだけという可能性もある。

結局のところ、まずは受け入れるしかないと思う。

諦めるのとは違う。事実は事実として受けとめるが、それからどうすべきなのか考え、現実的なやり方で望ましい形に近づけていく。

いつもそのようにできたらと思う。

アイヌ民族はパヨカカムイ(疫病の神)とも戦わない。感染症や癌などともいかにして共存するかを考える。

今の自分にとって不都合に感じるような現象が起きているのだとしたら、そこには何かしらのメッセージが込められていると考える。

ごまかさずに対話し、真剣に考えるからこそ新しいものが見えてくる。そこに成長と喜びがある。

先人からの教えには、実生活に直結したヒントが潜んでいる。

知識として知っているだけでは成長はない。日々当たり前に実践し続けることによって、人生をより豊かなものにしていきたい。