縁について

今、縁とは常に移り行くものだと実感している。

私は3月に27年勤めてきた公務員を退職した。

これを機に、新たに浮かび上がる縁があれば、ここで途切れるかのように見える縁もある。

これからも繋がり続けるものだとしても、その関係性は微妙に変化している。

私自身、基本的には何も変わっていないのだが、

退職して居場所を変えたのだから、表面的な思考や行動のパターンは変化している。

であれば、当然に周囲の反応も今までとは違うものになる。

私だけでなく、それぞれに都合があり、その関係性は今までと同じにはならない。

これは当たり前のことだ。

当たり前ではあるが、この受けとめ方しだいで、今とこれからがさらに違うものになっていくに違いない。

私は、

互いの思いは変わらないが、関係性は状況によって常に変化していく。そういうものだと思っている。

これは知人友人に限ったことではない。親兄弟との関係も本質的には同じである。

産んでくれた親がいるから、今の私がある。

妹弟とともに過ごした幼少期の体験が、私のベースとなっている。

産んでくれた親への恩に報いるためにも、

妹弟とともに過ごした時間をこれからも大切にし続けるためにも、

私は私らしく生きていきたい。そう思っている。

親も妹弟たちも、それぞれがそれぞれの事情の中で精一杯生きている。

それぞれの心にも様々な歴史が刻み込まれている。

もしかしたら、それぞれが自分でも気づかないくらい複雑なトラウマを抱えているかもしれない。

だから私は、関係性には頓着しない。

大切なものを胸に、それぞれの幸せを祈りつつ、自分らしい今を重ねていく。

だが、このように思うようになったのは比較的最近のことかもしれない。

関係性の変化は、その対象が一方的に、不当に変化したからだと思っていた時期が私にもあった。

当時は、自分だけは一切変わっていないという強い思い込みに囚われてもいた。

だが、自分も相手も変わってなどいない。

状況が変化したから、見た目の関係性が変わってきた。それだけのことなのだ。

これは、孤独観とも関係することだと思う。

自分自身の内面の基礎となるものはほとんど変わらないと思っている人は多い。

だがその内面が、外側からの刺激に影響されて作られてきたものであると、

状況の変化を冷静に受けとめることができない場合もあると思う。

外側が変化すると、自分の内面まで揺らいでしまうような気持ちになってしまう。

それが強過ぎると外側の変化を素直に受け入れられない。

その不安が、悲しみからやがて怒りに変わり、他者との関係だけでなく、自らの内面のバランスをも崩しかねない。

個の確立は簡単なことではない。

こちらが関係性に頓着していなくても、突然連絡が取れなくなったり、逆に激しくカラまれることもある。

だが、関係性は常に変化するが、縁は切ろうとしても切れるものではない。

そんなに心配しなくてもいいのにと、私は思っている。

私にできるのは祈ることだけだ。

すべての縁に感謝し、それぞれがそれぞれの生き方ができるよう、祈り続ける。

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