私は7歳くらいから野球に魅了され、50歳を過ぎた今も機会があればプレーするつもりでいる。

40年以上、野球のことを考えながら生きてきたが、振り返ってみると、そのほとんどはバッターとしての相手ピッチャーとの駆け引きについてだった。

私はそこに野球の面白さが凝縮されていると感じている。

そこには野球以外の人間関係や何やらかにやら、人生全般に通じるものがあると思っており、その思考は今も留まるところを知らない。

相手ピッチャーの選択肢を減らす。

この流れを作ることができれば、だいたいはこちらのペースに引き込むことができる。

具体的には、変化球を使えなくしていく。そうするとピッチャーとしてはストレートをストライクゾーンに投げるしかなくなる。

ピッチャー心理を追い込むようにしてストレートを投げさせる場合があれば、ピッチャーをおだてるようにして勝負どころでストレートを投げるように仕向ける場合もある。

ストレートに自信を持っているピッチャーほど、この流れに持ち込みやすい。

どんなピッチャーが相手でも、私は必ず変化球のタイミングで待つ。

そうすることによって、ボールを引きつけ、何を投げられても泳ぐことがなくなる。

選球眼がよくなり、球種が何であれボール球に手を出さないし、変化球が甘く入ってきたらそのまま自分本来のスイングで気持ちよく打てる。

私のこの待ち方を見たピッチャーは、変化球が使いずらいと感じ、どこかでストレート勝負を決意することになる。

ピッチャーが決意する瞬間は、その表情や仕草からだいたい読み取れる。

100%ストレートがくるとわかっている時でも私のタイミングは変化球に合わせておく。これでちょうどいいのだ。

速いストレートとは全てガチンコ勝負する必要はない。

基本的に力のあるストレートは無理に打ちにいかない。意気込んで打ちにいってもいい結果に結びつく確率は高くない。

追い込まれるまでは見逃しでいい。悠然と見送り、その球筋を味わえばいい。

追い込まれている時はファールで逃げればいい。そのためには引きつけておく必要があるので、変化球のタイミングで待っていれば簡単にファールできる。

速いストレートでも甘く入ってきたら、目の前の虫を手の平でひっぱたくようにして咄嗟にバットを出す。

それだけで、芯を食えば打球は勝手にすっ飛んでいく。強振する必要はないのだ。

まったく同じストレートを投げられても、こちらの心理状態でその結果は大きく変わる。

バッティングは100m走やボール投げのような競技とは違う。自分と相手ピッチャーの心理が結果に大きく影響することになる。

「99%ストレートのはずだが、もしかすると変化球かもしれない。変化球なら泳がされそう」などと思わされてしまっている打席は苦しいが、

「変化球がストライクにきたら気持ちよく打たせてもらうし、ボールなら見送ればよい。ストレートは簡単に打てそうな球だけ力まずに払うようにして打ち返す。際どいコースは必要に応じてカットで逃げるだけ」と、

このように思える打席はバッターが優位に立てる。

よく「配球を読む」などと言うが、ジャンケンみたいな当てっこというより、タヌキになって仕向けることの方が多い。

ピッチャーを気持ちよく投げさせておくと勝負球が見え見えになることが多い。ピッチャーの性格は嵌められていることに気づかないことも多い。

ピッチャーのプライドに配慮しながらそこを補えるキャッチャーがいるチームは強いと思う。

究極は、相手ピッチャーに気持ちよく投げてもらい、それを自分が気持ちよく打つことだと思っている。

投げも投げたり、打ちも打ったりというような勝負は見ている人も気持ちがいいものだ。

野球だけでなく、人生の舞台においてもそうしたことができたらいいなと、時々そんなことを考えている。