孤独の味わい

色んなことがありすぎると、ブログのテーマが定まらなくなる。書きながら他のことが気になったりして筆が重くなる。今もそんな感じ。

その中でも書いてみる。こういう時に書くことにも意味があるという直感がある。

少し前までは、頭の中が散らかってしまうと、途方に暮れてしまっていた。

散らかることを忌避していた。

だが、散らかる時はあっという間に散らかるものだ。

一日中ぐちゃぐちゃに混乱していて、日付が変わるギリギリになって迷いと疲労を感じながら無理やりブログを書いたこともある。

今もギクシャクしたところがあるにはあるが、いくぶんスムーズになってきたように思う。

昨日も色んなことがあった。

別に驚くようなことでもないのだが、少し余計なことにまで首を突っ込んでしまい、ぐにゃぐにゃした、かなり面倒くさい気分になったのだ。

こういう時に、「ああ、やっぱり俺も人間なんだなぁ」と思う。

この体が、外部からの刺激に反応したのだ。

その余韻が残っている間は、すぐには動きだせない。

次にどうしたらいいのかはわかっているが、体はすぐには動かない。

鈍く重たい感覚に包まれていて、すっきりしていないのだが、

これはこれで自然で必要なことなのだと、今はそう思う。

かつては、すぐに動けない自分にムチを入れたり責めたりしていた。

その時はそうするしかなかったので仕方がないのだが、今は違ってきている。

この混沌とした中で、重苦しさを感じながら、取るべき動きというのがあるような気がしている。

動きの鈍くなった私を、相変わらず無数の魂が包み込んでくれている。

だがこういう時は、

普段と比べて周囲との一体感が後退し、孤独を感じやすくなっている。

これを味わうことも人間としての使命なのだと思う。

小雨の混じる、鈍く重たい曇天を見上げている。

いつもより鳥の声が少ない。草木には6月の力がある。あるのだが、じっとしている。

いつもと比べて、鳥や虫や草木も、それぞれがバラバラになっているように感じるのは気のせいだろうか。

孤独を感じているのは私だけではないのかもしれない。

いきなり、トゥスニンケ(エゾリス)が寄ってきて、私の足元を駆け抜け、時々私を振り返りながら向こうへ行った。

トゥスニンケとはアイヌ語で、エゾリスを指す。

トゥスは巫術の意。

巫術を操るエゾリスは私に何を知らせに来たのだろう。

精霊と交る没我の境地とはどのようものだろうか。

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