この前DRに乗ったのは6/12だから、もう10日間も乗っていない。
全般に天気が優れなく、乗れそうな時にはちょっとした用事が入ったりしていた。また、腰の具合もあまり良くなかった。
仕方がないことなのだが、長い間DRに乗らないでいることが新たな心身の不調を呼び込むことになる。
不調と言っても日常生活に支障をきたすほどではなく、好調時のありがたさを再確認する機会なのだと、そのように受けとめている。
当のDRから不満の声は聞こえてこない。
カバーを被ったままいつもと同じ角度で空を見上げ、「今の複雑な思いを冷静に受けとめておけ」と、
私に対してはそんな態度でいる。
実際、私を包み込む気の流れがところどころで淀み、滞留しているように感じている。
こうしている間にも様々な変化の兆しを感じているのだが、実際にことが動き出すタイミングがやってこない。
空模様にも、私の心と体にも、株式市場にも、微妙に抑制がかかっていて、弾けるように軽快に気が流れていく感じになかなかならない。
いずれ自然と動き出すことなのでどうとも思っていないが、全ては繋がっているということをあらためて感じている。
先週からメジャーSQがどう作用するのか市場を注視しているが、昨夜から今朝にかけても大きな動きは見られなかった。
昨日までは晴れる予報だった今日の天気も一日中曇りに変わっている。
晴れてるうちに庭のプランターの土の移し替えをやるつもりだったのだが、微妙になってきた。
13:00から始まる市議会本会議を傍聴したいと思っているがどうだろうか。
天気が良くないと腰の状態がおそらく悪くなる。そうなると何もする気がなくなってしまう可能性がある。
やる気がなくなるのには正当な理由が必ずあるので悪いことだとは思っていないが、なんとなく残念な気持ちにはなる。
だが停滞の時間も私は嫌いではない。DRをはじめ私を包み込む無数の精霊たちも、この停滞の中でじっと機会をうかがっている。
私もその仲間になっているみたいで、その意味では少しウキウキしている。