児童福祉司は増やしたくても増やせない

2018年12月に「児童虐待防止対策体制総合強化プラン」が策定されている。

国はここで、増え続ける児童虐待に対応するため、児童福祉司を増員する目標を掲げている。

たしかに増員が必要だろう。

児相の現状を考えると、児童福祉司を増やさなければ現場は確実に破綻する。

と言うか、既に破綻していると言っても過言ではない。

だがあらためて考えてみたい。この局面で児童福祉司を増やそうとする目的は何か。

一般には「児童福祉の向上」などと認識されていると思うが、

実際にはそうはならない。

少し考えれば誰でもわかるはずだ。

今から児童福祉司が増えたところで、

右肩上がりに増え続ける虐待事案に振り回され、それだけで疲弊してしまうのは目に見えている。

児童福祉司がいくら増えても、困窮している児童の生活が変わることはない。

そこまで手が回るはずがないのだ。

まず、この現実を踏まえる必要がある。

さらにもう一つ。

いくらプランで目標を掲げても、児童福祉司は増えない。

増やしたくても、増やすことができない。

現場が過酷な状況にあることはみんな知っている。

その上で、強い使命感と決意を持って現場に飛び込んだところで、

次々とわき起こる事件事故に年中振り回され続けるのが関の山だ。

そのような労働環境では、心身の健康を維持するのも簡単なことではない。

つまり、

児童福祉司が増えたとしても、子どもたちの生活環境は改善しないし、

そもそも児童福祉司は増やせない。

それでは、なんのために国が増員目標を掲げているかと言えば、

「国としての体裁を保つため」と言わざるを得ない。

国の姿勢を批判したいのではない。

現行の社会システムでは、

子どもたちの福祉はおろか、最低限の生活を守ることさえできないのだ。

このことを、この現実を、社会全体で受けとめていく必要があると思っている。

政治や行政に期待する気持ちもわからないでもないが、

期待しても無理なものは無理なのだ。

このプランの発出当時、私は児相に所属していた。

プランの筋書きはしごくもっともな理屈である。

だから誰も口にはしないが、

このプランを見て、さらに絶望した職員も多かったと思う。

そもそも児童福祉司の増員の必要性はずっと前から言われていた。

何年も前から庁内公募は児童福祉司の募集ばかり。

児相が過酷な状況にあることは、みんな知っている。

現行システムでは対症療法的な対応を延々と続けるしかない。

正直、行政はもうお手上げなのだ。

繰り返すが、

行政に頼らず、国民一人ひとりが自分自身の問題として考えることから始める必要がある。

国民が行政に頼る発想を持ち続けるうちは、

行政としては、あのようなプランを作るしか方法がなくなる。

形骸化したプランの策定に膨大な時間と労力を投入し、

実効性がないことがわかっている業務に、さらに時間と労力を投入していく。

ここに私たちの血税が消費されていることを忘れてはならない。

まさに制度疲労がピークに達していると思うのだ。

政治や行政に頼る姿勢が自分たちの首を絞めていることに気づかねばならない。

これは私が公務員を辞めた理由の一つでもある。

組織の外から、身の周りのことから、小さな実践を重ねていきたい。

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