経済活動が再開されているが、警戒感はかなり強い。スーパーやコンビニ、ラーメン屋など、どこに行っても透明なシールドがやたらと目立つ。
感染予防マニュアルを作り、研修などを通して従業員教育にかなりの経費と労力を投入しているのが伝わってくる。
再開しなければ生活できない。再開する以上は予防対策を徹底しなければならない。
何が起きても世間から叩かれないように、完全防備で形から入るしかない。
何もかもが消去法で「こうするしかない。」という、無言の圧力、事実上の強制力に支配されている。
いかにも日本的だと思う。
これが悪いと言いたいわけではない。
ただ、そこに生じてくる副作用に目を向けることもどうしても必要になってくると思っている。
とりあえず予防対策を万全にしてお店を再開したが、
さっぱり利益が上がらないということがこれからたくさん出てくると思う。
経営者も従業員も口にしないだけで、本当はそれを肌で感じている。
「再開してもおそらくダメだろう。」
そう思いながら予防対策マニュアルを作り、綿密な従業員研修を重ね、やっと営業再開まで漕ぎ着けたのだ。
テレビの街角インタビューみたいのがやってきてマイクを向けられたら、
とりあえず無理やり笑顔を作るしかない。
一言二言、希望に溢れているようなことを言うだろうが、
正直口だけだし、目が死んでいる。
いかにも日本的だと思う。
再開する前から、心が沈んでしまっている。
この時点でダメだと、本当はみんな思っている。
今が楽しくないものは、これからも絶対に楽しくはならない。
「ポジティブに希望だけは持ち続ける。」という人も少なくないが、
希望とは、今と未来を切り分けて考えるようなものではない。今のこの瞬間に自然と喜びを感じるものでなければならない。
そうは言っても、私たちは、今置かれている環境、社会の中で生きるしかない。
辛いが諦めることなく、どんな環境であれ、今のこの瞬間に何かしらの喜びを感じて生きていくしかない。
辛いからこそ人生は面白いのだが、それはまた別の話。
私もこれまで苦しく虚しい思いを重ねて生きてきた。
これからの世代の人たちは、今のような強い同調圧力に囚われない生き方をして欲しいと願っている。
その可能性をわずかでも切り拓いていくという、そうしたことでも生きる希望に繋がると私は思う。
とりあえずは、経済活動が再開されたら、渋々そこで働くしかない人がほとんどだと思うが、
すぐに私たちの新しい遊び場所が自然と生まれてくる。
空しいと思うくらいなら会社を辞めようと思う人も増えるだろう。
自分は何をしたいのか、何となく気づき始めた人が動き始めている。
本当は、
イベント企画も観光も飲食も、過去に縛られずに一度ガラガラポンするしかないのだ。
過去を取り戻そうとするのも心情的にはわかるけど、戻ってこないものは戻ってこない。
そこを諦めても全てがなくなるわけじゃない。
むしろ、しがらみから抜け出した瞬間、今まで想像もしていなかったことが目の前に現れたりする。

一人旅とかすごく楽しそう。チャリとかバイクとか。
マニュアルやシールドから、未来は生まれない。
やはり今はチャンスだと思う。