私はアイヌ民族ではないが一人でも祈り続ける

アイヌの血を引いているからと言って、特別なことなど何もないはずだ。「血」で思想や文化が分かれるのではなく、「地」の違いだと、私はそう思っている。

私が学びたいと思うのは、北海道において、縄文の精神が長く伝えられてきたことの意味である。北海道に生まれ育ってきた者としてはごく自然な発想だと思っている。

そこでぶつかるのは、アイヌ民族に伝わる精神文化はアイヌ民族だけのものなのだろうかということ。弥生系日本人はそこに心底共感したり、実践することは許されないのか。遠巻きに眺めて感心することしか許されないのかという問いである。

私は、この地に伝えられてきたものは、アイヌ民族であろうがなかろうが、ここで生きていくためにはごく自然なことであると思っている。

この地に生まれてきた者が、心豊かに生きていくために育まれてきたごく当たり前の思想と文化。私は誰に教えられたわけでもないが、子どもの頃からアイヌ民族に伝わる精神と似たような感覚を持って生活してきた。繰り返すが、「血」ではなく、「地」だと、私はそう感じている。

民族の違いに必要以上に焦点を当てることは、結果として分断を助長することにはならないだろうか。多様な民族や文化を互いに許容し合うという世界的な流れに逆行してはいないだろうか。

どちらの民族が素晴らしいとか間違っているとか、ここが決定的に違うとか、そんなことをわざわざ考えること自体、的が外れてはいないか。

明治以降の同化政策に象徴される激しい差別と搾取の歴史。そこから目を背けることはできない。その暗く悲しい現実が多くの人の心を今も不自由にさせている。だが、どんな理由があろうとも、一番大事なことは何なのか、そこを見失ってはならない。

近年、文化の伝承についても様々な動きが出てきているが、それが権威主義的だったり、排他的だったり、私たちの実生活から切り離されたところで進んだりしてしまうと、どんどん私たちから遠いものになってしまう。

アイヌ民族と弥生系日本人がお互いに歩み寄る姿勢が必要だ。たしかに弥生系日本人の大半は歴史を学ぼうとしない。だが、真摯に向き合おうとしている者も少なくない。信頼関係を築いて、できるところからやっていかねばならないはずだ。

私は、縄文の精神を守り続けてきた先人に敬意を抱いている。その対象はアイヌ民族に限らない。少なくとも私にとって「血」はそれほど重要ではない。要は、先人からのメッセージを真摯に受けとめ、今とこれからに生かすための現実的な在り方と方向性をイメージしているかどうかだと思っている。

言語や伝統芸能なども素晴らしいが、それらを殊更にピックアップし過ぎると副作用も出てくる。華やかなものばかりに振り回されず、根っこに宿る精神を大切にすることが前提になるはずだ。そう考えた時、今の文化伝承の方向性は間違いのないものだと言い切れるだろうか。

言い訳ばかりで分断を助長する人たちは必ずいる。心情としてはよく理解できるし、ある意味仕方がないが、そこにいつまでも留まっているわけにもいかない。

アイヌであろうがなかろうが、北海道に生きる私たちには先人の思いをきちんと受けとめ、次世代に引き継ぐ責務があると思う。

以上は現時点で私の感じていることであり、適切でないところもあるかもしれない。ならば早くに指摘を受けて、学び、修正すべきところを修正していきたいと思っている。

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