2020年1月1日からブログの投稿を毎日続けている。6月2日現在で155日連続となった。

私のブログは雑記である。日々色んなことを感じているが、その一部をブログに書いている。

今のところは自己確認の意味合いが強い。始める前からとにかく書いてみたかったし、書き始めてからも、書き続けたいという気持ちが強い。

書き始める前は、常に頭の中でたくさんのことがぐるぐる回っている状態で、それらの行き場を作ることが必要だと感じていた。

27年にわたる公務員としての勤務は、家族の生活を守るために必要なことであったが、私にとっては長い抑圧の時間でもあった。

組織の歯車の一部として、様々な制約の中に長く身を置き続けると、しだいに現実と思考との間にギャップが広がっていく。

思考は、いつでもどのような環境であっても自由だと思っていたが、現実とのギャップが大きくなりすぎると、自身を制御するだけで一杯になってしまう。

それが辛いから、自分本来の思考を止めて組織の論理に身を任せてしまうという生き方を選択する人も少なくない。

私の場合は、頭の中を駆け巡る様々なことを打ち消そうとはしなかった。

何らかの形でそれらをアウトプットすることを考えていた。アウトプットすることによって、自分自身が整理され、新しいスタートが切れるような気がしていた。

頭の中に浮かんできたことには、うやむやにせずに向かい合っていく。逃げられるものでもなく、いずれは向かい合うしかないと思っていた。

だが、公務員在職中にはそれは難しいと感じていた。

公務員のまま、私本来の思考を現実の生活に投影させていくと、少なからず摩擦が生じることになる。

組織の中でしだいに浮いてしまい、必要以上に誤解され、仕事どころではなくなってしまう可能性もある。

であれば、退職して自由になればよい。組織から離れて自分らしく生きることである。

それしかないと言うか、自分にもそうすべき時期がやってきたのだと、そのように受けとめている。

2019年の秋には退職することを決めていたが、公務員でいるうちは相変わらず狭い檻の中にいる。

細々とブログを書き始めてはいたが、なかなか本音を書けない。実際に退職するまでは、踏み込んで思考したり、想像の世界を自由に走り回る気持ちにもなれなかった。

だが、書き続けるべきだと思っていた。思考そのものが不自由だからなかなか書けなかったし、書くことが負担で生活の質が落ちていた時期もあったのだが、やめてしまうのは違うと思っていた。

27年間の抑圧から解放されたとしても、退職したその日から一気に何もかもを吐き出せるわけではない。

行き場を見つけられず私の中で滞留しているものが、退職後にできるだけ穏やかに、スムーズに、自然な形で外に出ていけるようにしたいと思っていた。

ブログを書き続けることによって、それができるような気がしていたのである。

退職は私にとって非常に大きな出来事なのだが、ブログを使うことによって新境地に軟着陸できているような気がしている。

退職直後のブログには当時の心境の変化が滲んでいるが、

身の回りの変化に柔軟に溶け込んでいくことを意識していたのを思い出す。

退職は私にとっては大きな出来事だが、私以外のものにしてみれば、普段と何ら変わりはない。連続した時の流れの一部分に過ぎない。

全体として見れば、別にどうということでもなく、変化などほとんど無いに等しい。

私が退職してからの周囲の人たちの意識は様々であり、私が退職したことを知ってる人がいれば、知らない人もいる。

私を取り囲む環境は微妙に変化しているが、そこには時間をかけて徐々に自分に馴染ませていきたい。。

退職したからと言って、すぐに何でもかんでも無造作に吐き出せるものではない。

その時々の、自分を取り囲む空気をほんの少しだけ揺り動かしてみる。流れの中で、それとなく話したり書いたりしてみる。

そうした何気ない積み重ねが、私の新しい居場所を作り上げていくのだと思っている。

このブログがこれからどうなっていくのかは、私にもよくわからないが、ここには何かしらのエネルギーを感じているので、これからも自然体でやっていきたい。