6月になり、今日からほとんどの学校が再開となった。

テレビや新聞には登校を喜ぶ子どもたちの笑顔が溢れている。

だが、みんながみんな学校再開を心から喜んでいるわけではない。

勉強が好きな子どもは学校も好きだと思われがちだが、

学ぶことは好きだが学校は面白くないという子どもも大勢いる。

日本には「勉強」という言葉がある。学校は勉強する場所であり、そこでは、文字通り様々なことを「強いられる」ことになる。

学校では、あらかじめ決められた内容と決められた順序で機械的に子どもたちに知識の植えつけ作業が行われている。

その結果として、学校は、

多くの子どもたちの知的好奇心を台無しにし、自発性を奪い、骨抜きの大人たちを量産してきた。

私たちはこのことから目を逸らすべきではない。

今の大人たちを見れば、子どもでも簡単に気づいてしまう。

自発性があり好奇心旺盛な子どもであればあるほど、「学校はつまらない」と思うことになる。当たり前と言えば当たり前の話だ。

今の学校は、事実上、

権威や組織に従順な労働者を大量生産する、強力な社会システムとしての側面が強い。

「子どもの将来のため」などと言ってはいるが、その精神は形骸化している。

人生の目的を自分の頭で考えるタイプの子どもにとっては、学校のカリキュラムはつまらない押しつけ、邪魔でしかない。

だが、コロナショックを機に今の教育制度、システムそのものに疑問を持つ人が増えてきている。

今はネット環境が発達し、大人も子どもも空いた時間にいつでもどこでも好きなことを好きなだけ学ぶことができる。

大人も子どもも学校に通わなくても、誰からも指図されず、それぞれがそれぞれの能力とペースに合わせて学ぶことができるのだ。

これからの時代は、むしろ独学者の方が力をつけ、影響力を発揮してくるのではないか。

ここにも、権威や組織からの脱却の流れが見てとれる。

これからの学校はどうあるべきか。

コロナショックを契機に、時代に沿った方向修正がなされることを望む。

学ぶことは、本来他者から強いられるものではない。いずれ大人も子どもも自発的に楽しく学び続ける時代がやってくる。

誰もが生涯を通じて楽しく学べる。そんな社会の実現を期待している。