ワンネスの概念

最近、「ワンネス」と言う言葉を耳にするようになった。

巣籠もり生活が長く続く中、社会システムの変化のうねりに直面していると、

もっと根本的なところに意識を向ける人も増えてくる。

色々考えていると、ワンネスの概念にも行き着く。という話を聞いたこともある。

ワンネスと言われても、ピンとこない人の方が多いと思う。

非科学的なものとして、最初から度外視する人も少なくない。

だが、特に今のような時代には、ワンネスの概念を意識している人が増えているというのも紛れもない事実である。

この事実は、社会科学的に無視できない。見ないふりをすることの方が非科学的だと言わざるを得ない。

だから、信じる信じないと言うこと以前に、そうした概念が地球上に存在しているということに、まずは向かい合う姿勢が必要だと思う。

前置きが長くなったが、ひとくちに「ワンネス」と言っても、その概念を正確に定義づけて表現することは難しい。

だからここでは、今の私が感じていることを書いてみようと思う。

私の場合、どこかでワンネスの話を聞いてきて、そこから急に意識し始めたわけではない。

考えようとして考え始めたわけでもなく、元々ボンヤリと思っていたことに過ぎない。

少しはっきりとワンネスを意識するようになったのは、元気だった実父と二女を突然亡くしてからだ。

父も二女も、すっかりこの世からいなくなったのではなく、私の存在しているこの時空間に、全体に広く満遍なく溶け込み、私の中にも重なっていると感じるようになったことがきっかけになっている。

父も二女も生まれる前は、この宇宙空間に存在する何か他の物質を構成している素粒子で、それも時間の流れとともに、常にその居場所を変え続けていた。

このことは、

スピリチュアルでぶっ飛んだ解釈でもなんでもない。もっとも自然で、科学的な根拠を持つ紛れもない事実である。

そして、

父も二女も、奇跡が重なって、関係する素粒子が集まり、この世に生を受け、一人の人間としての生を全うしていった。

今は、人間としての集合体としての形ではなくなったが、この宇宙を構成する何か別のものに姿形を変えて確実に存在している。

少なくともここまでは、肉体を構成していた物質については、私でなくても誰でも確実に言えることだと思う。

魂の居場所については、私には科学的に証明することはできない。

ここから先は私個人の感覚でしかない。

別に声高に主張するつもりもないが、あえて言うとすれば、

父と二女の魂も、宇宙空間に満遍なく溶け込んでいるように感じている。

そうであれば、この流れは父と二女だけのことであるはずもなく、

この世には無数の魂が、ある集合体に閉じ込められることと、解放されることを延々と繰り返しているようにも思えてくる。

そして、その大元はなんなのかと言うことにも、自然と考えが及ぶ。

今の私がイメージしている「ワンネス」とは、そのようなものである。

断っておくが、これは私が個人的に感じているというだけのことであり、

これこそが正しい説だと言いたいわけではない。

科学的な見地からも、こうしたことを考えるのは無駄なことではないと思っている。

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