サイコパスとしての能力

先日、宮沢賢治作「オツベルと象」の、オツベルのことをこのブログに書いた。

オツベルは、巧みに奴隷を使う優れた経営者として描かれている。

端的に言うと、他者との関係に良心や愛情を持ち込まないタイプだ。

今風に言えば、「サイコパス」なのだろうと思う。

それがいいとか悪いとかという話ではない。

そうした人はたくさんいるし、その特性を生かして優れた業績を残すことも少なくない。

サイコパスとしての特性をもった支配者は、本当は良心も愛情も持ち合わせていない。だからこそ目標に向かって突き進むことができる。

だが、あまり露骨に冷たくしてると奴隷たちに逃げられてしまうから、良心があって愛情を持っているふりはする。

それで奴隷たちを騙せていると思っているうちはいいが、正体を見透かされているような気がすると自身の根底から不安定になる可能性がある。

奴隷たちは、本当に騙されている場合もあるが、騙されているふりをしている場合もある。

サイコパスはそこを見抜き、必要に応じて適切な距離感を調整できればいいのだが、

普段から、自分が一番で後はみんなバカだと思っていると、薄々気づいていても適切な距離感を保つことが難しくなってしまうのだろう。

実際、奴隷の中にも色々な者がいるのだ。

最初から、

「このサイコパスは、成功者としての名声を手にするために、最後まで色んな奴隷を巧みに使いこなす力量を持っているのだろうか。」と、

そう思ってサイコパスに近づく奴隷もいる。

そんな場合、サイコパスに思っていたほどの力量がなかったら、

奴隷の側にサイコパスを踏み潰すつもりがなくても、いつの間にか軽く踏んづけてしまっているのかもしれない。

私が何故、オツベルのことを思い出したのか、その理由がわかったような気がしている。

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