オツベル

ふと、宮沢賢治の「オツベルと象」を思い出した。

枕元にいつも置いてある古い文庫本を手に取って一気に読んだ。

この話は中学の国語の教科書に出てきた時から好きで、ほとんど完璧に覚えている。

10年以上は読んでいなかったと思うが、やはりほぼ完璧に覚えていた。

何故今頃、この話を思い出したのか。

私も象と同じようにして新しい世界に足を踏み入れたり、そこで夢中になって働いたりもしてきた。

長年所属してきた組織や、付き合ってきたたくさんの人のことを思い出す。

最初はよくても、他者との関係は常に同じとは限らない。自分は同じつもりでも、向こうが変わるかもしれない。無意識のうちに共依存の関係に陥っていることもある。

危険を事前に察知して、さりげなくそこから抜け出すのが一番利口なのかもしれない。

わかっていても、ある程度までズブズブになって、修羅場を経て次のステージを目指すのもそう悪くないと思う。

最初にオツベルと象を読んだ時、なんとなく象の気分になっていて、まだ何も知らない中学生のくせにそんなことも考えていた。

今、私がこの話を思い出したのは、象のことよりもオツベルのことが気になったからだ。

オツベルは何をしたかったのだろう。頭のいいはずのオツベルなのに、他の象に潰されるとは思わなかったのだろうか。

「潰されることを覚悟していて、喜んで潰されていったのかもしれない。」などと考えるのは深読みしすぎだろうか。

私の今までの人生においても、オツベルみたいな人が何人かいた。

もしかしたら、私を象として見ていた人もいたかも知れない。

私は、

月を見て、「ああつかれたな、うれしいな、サンタマリア」と呟いたことがある。

だが、私はもう50歳なので「もう苦しいです。サンタマリア」などと呟くつもりはない。

これからも、

ほどよく他者と騙し騙され合いながら、自分にとって有意義な時間を重ねていくつもりである。

できることなら、私も相手もウィンウィンの関係を続けていきたい。

私はタイプとしてはオツベルではなくて象だと思うので、

このままだと大切な何かを踏み潰してしまいそうだと感じたら、静かに居場所を変えていくと心に決めている。

そんな風に思ったら、何故か川に入りたくなってきた。

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