「生産性」と言うと、産み出される経済的価値の高さとして理解されるのが一般的であるが、
これを応用して、「人生における自己実現の度合い」のような意味で考えることもできると思う。
人が生きていれば、それだけでたくさんの情報を取り込んでいくことになる。つまりインプットである。
特に現代社会は、昔と比べて降りかかってくる情報量が圧倒的に多い。
そこで、このタイトルの式に当てはめて考えると、
現代は、相当な量のアウトプットをしないと、生産性をあげること(自己実現)ができないということになる。
どういうことだろうか。情報は多ければ、それだけでみんなの生活が豊かになるのではないのか。
そもそも、人は外部や他者との関わりの中において自己を確認し合っていく生き物である。
他者との関わり。人と人とがアウトプットし合い、認め合うことによって初めて関わりが成立する。
いくら有益な情報に触れていても、インプットするだけでアウトプットがゼロであるならば、その時点において他者との関わりは発生していない。
そこには、「知識を得た」という、多少の満足感があるかもしれないが、
知識とは、いずれ自らの生活に生かされていくという前提がある時に限り希望が持てるものである。
仮に、それらが単なる知識として終わってしまうとしたら、逆に苦痛に変わることにもなりうる。
だから、インプットしたものは、なんらかの形でアウトプットしていく必要がある。
情報が溢れている現代であっても、インプットすることはただではない。それを吸収するために、時間もエネルギーも消費している。
だから、インプットだけでアウトプットをしないというのは、心身を著しく消耗する、非常に辛く苦しいことなのだ。
「アウトプットするためには、社会的に責任がある。いい加減なことを言ってはいけない。」などと言う人がいるが、
それは、支配者や独裁者が奴隷を黙らせるためのやり方であることも少なくない。
現代は、一部の著名人や専門家が不当に幅を利かせている社会であるとも言え、「素人は黙っていろ。」という雰囲気が強い。
だが、
発言したり書いたりすることは、別に専門家でなくても、勉強したことなどなくても、元々は誰もが気軽にしていたことだし、遠慮してはいけないことだ。
人が話したり、書いたりすることの目的は、
今、自分がどこに居て、どうしようとしているかを他者に表示することにある。
他者との関わりのために話したり書いたりしているのだ。
そのほとんどは、社会的に正しいことを主張したり、他の説を論破したり、自分の存在を誇示するために話したり書いたりしているわけではない。
この国では、酷く歪んだ自己犠牲の精神みたいなものが蔓延していて、
自分の意見を主張することはおろか、他者との関わりにおいて最低限必要な行為まで慎むことを押しつけられる空気が流れていたりする。
これは息苦しいなんてもんじゃない。
黙っていても大量の情報が降りかかってくるのだから、
それらを一方的に浴び続けるだけで、アウトプットの機会を与えられないのだとしたら、最後には窒息してしまう。
現代は、自己実現のためのハードルの高い社会だと思う。
行政や会社の組織においても、個人がアウトプットする機会は極端に限定されている。
限定されてはいるが、そこにチャンスがあるならと、より専門性を高めて、他者の追随を許さない特別な場所において自らの発言権を強化しようと考える人がほとんどだ。
しかし、これらはやればやるほど、他者との関わりから遠ざかる行為と言わざるを得ない。
アウトプットの定義について語られるのをあまり見たことがないが、
私が思っていることを言うとすれば、
「常に他者との関係を意識し、その今と未来に責任を持つ姿勢」と思うがどうだろうか。
今のメディアなどに溢れている著名人や専門家のコメントは、
その意味で私たちの未来に有益な情報となっているだろうか。
当人は他者に差をつけて自己実現してるつもりかもしれないが、それは本来の意味で社会に有益な情報になっているだろうか。
こんなにたくさんの著名人や専門家がたくさん発信しているというのに、
今の窒息しそうな社会。この息苦しさの原因はどこにあるのだろうか。
私は、とりあえず独り言でいいから話したり書いてみることにした。
まずは、長い間抑圧されてきたものを健康的に吐き出すのが目的。千と千尋の神隠しのオクサレサマのように。
吐き出す時には、独り言ではあるが他者を必ず意識している。
自分勝手な不満を無責任にぶちまけるのではなく、他者と歩み、他者とともに自由な未来に向かうベクトルを意識しながら吐き出す。
私は、
多くの人が現代の呪縛から解放され、自由になれることを望んでいる。
偉い人の話ももちろんいいけど、それよりもみんな、もっと自然にたくさん話して欲しいと思う。
あまり毒ばかり吐いていると、その毒にやられてしまうこともある。だから、健康的に吐き出すことが大事だと思っている。