北海道の春は遅い。5月の初めに花が開き、中頃になってようやく木々に葉がつき始める。

今年は雪が少なかったので、近所の山に早くから入ることができていたのだが、

何度DRで山奥に行っても、木には葉がまるでなく、まるでアトサヌプリ(アトサ=裸、ヌプリ=山)のよう。

どうやら、雪解けが早くても葉が早くつくわけではないらしい。

最近になってようやく緑が増え始め、5月を実感している。

私は昔から、木々に葉がつき始め、緑が増えるとテンションが上がる。

なんとなく自分が若返るような気持ちになる。

小学生くらいの頃、木々に葉がつき始める時期に、植物の強い生命力を感じていたことを思い出している。

冬の間にすっかり枯れて死んでしまったのかのように見えていた防風林の大きな木にもみるみる葉がついてくる。

大地から太い根を通して水と養分をグイーンと、めちゃめちゃ楽しそうに吸い上げている。

そして、それらを無駄なく使って、太陽の光と一緒になって、元々のエネルギーの何倍にもなって、ものすごく立派な枝葉を広げている。

「すごいなぁ」と思って、学校帰りに道草しながらずっと眺めていた記憶がある。

木々の生命力につられるようにして自分も大地と太陽からエネルギーをもらって大きくなったような感覚があって、

そのせいで、今でも5月の緑を見ると元気が出てくるのだ。

私は以前から斉藤由貴の世界観に興味を持っているが、斉藤由貴には5月を連想させる曲が2つある。

「May」

と、

「N’oublie pas Mai (5月を忘れないで)」

Mayは、

何故か発売が11月だったのだが、聞くと5月っぽい曲だと思う。

春を前にして、蕾のように若い自分たち。それぞれの思いが5月になって勢いよく花開き、それぞれの方向に進んでいくのだが、仲良くしていた仲間たちもやがて遠く離れたところへ行ってしまう。

「俺も一丁やってやるぜ!」と思う気持ちと、「なんか寂しいな。自分にできるかな?」といった、当時17歳の私の複雑な気持ちを思い出させる曲。

N’oublie pas Mai (5月を忘れないで)は、

若さゆえの想いと言うか、執着のようなものがあって、そこに停滞している自分がいるが、その自分の気持ちを置き去りにして周囲がドンドン勢いを増して変わっていく感じ。これも当時19歳の、東京の大学に出たばかりの自分の感覚と重なるところがある。

今年の春は、例年よりも周りからエネルギーをもらえている感覚がある。

自分の中にはまだ新しい蕾があるみたいだし、そこには、どこに弾けていくか自分でもわからないエネルギーがあるような気もする。

何かの拍子で立ち止まってしまうこともあるけれど、周りはみんな元気にしているし、自分も何かを抱えながらもすぐに元気にやっていけると思う。

5月は私が生まれた月でもあり、やはり気分が上がってくる。

こんな気持ちになれるのは幸せなことだと思う。さらに彩りを添えてくれている斉藤由貴にも感謝している。