湧き水の如く

近年、アイヌ民族の言葉、歌、踊り、木彫り、刺繍等々に関心が集まっている。

それぞれに強い魅力があるが、それらを利用して名前を売ろうとしている者が跋扈しているのも事実である。

非常に残念なことである。

「アイヌでもない者がしゃしゃり出てくるな。」と思っている人もいる。

アイヌ民族の方々の中でも、「あれは本物だけど、あいつは認められない。」みたいな空気がなんとなく流れていたりもする。

残念である。

そこには、当事者ともなればやむにやまれぬ事情があるのもわかるが、

結果として、そこに社会的な分断が生じているのであれば、残念なことである。

伝統的な文化芸術を守ることは、言うまでもなく大切なことだが、

その過程で社会的な分断が進むのだとすれば、

やればやるほど、アイヌ民族に伝わる基本精神から離れてしまうと私は思う。

本来であれば、アイヌ民族に伝わる精神文化がもっと社会に浸透し、一般化されていてもいいはずである。それくらいの魅力、力がそこにはある。

現実として、長く悲しい差別の歴史が横たわっている。

寄り添おうとしても利権目当てと疑われたり、なんとなく拒絶されたように感じてきた人も大勢いるだろう。

「広く理解しあい、アイヌもアイヌでない人も手を取り合おう。」などと口では言うものの、

実際にしていることは排他的で、それぞれが自らの地位を守ることに窮々としている。

それが間違っているとか、いけないことだとか、誰々のせいだとか、そんなことを言いたいわけではない。

誰も責めたくないし、責めることなどできない。現実的に仕方のないことであると理解している。

ただ純粋に、今のこの現状を残念だと思うのだ。

私はそこに巻き込まれたくはない。

先人から伝わるその精神を大切に引き継ぎ、毎日の生活の中で生かし続ける。

朝起きたら嬉しく思う。美味しい空気、美味しい水がある。全身から自然と感謝の気持ちがのぼり立つ。

長く使い続けてきた衣類や道具が使えなくなったら、我流のお祈りをして感謝の気持ちを込めて送り返す。

いつもいつも特別な衣装を着たり、特別な道具を使ったりするわけではない。

誰かに教えてもらったからしているわけではない。アイヌ民族の真似事をしたいのでもない。これらは私自身に元々あるものだ。

アイヌ民族に伝わる精神文化はとても美しく、多くの人たちの胸に響く。

それが何故響くのかと言えば、誰の心にも元々あるものだからだと思う。

私はアイヌ民族に伝わる精神文化に敬意を持っているが、

それらの根っこにあるものは私自身の中に元々あると思っている。

だから、一方的に何もかもを教えてもらっているつもりはない。ともに学び、ともに感じ合う。そのつもりでお付き合いさせていただいている。

私は北海道に住んでいるから、アイヌ民族の歌も踊りも木彫も刺繍もみんな好きだ。

本当はもっとやってみたい。

でも真似事をしてると思われるとろくなことにならない。誤解されたくないので、一人で黙ってできることを続けている。

私のような人もたくさんいるはずだ。

ウポポイがなくても、わざわざ有名人が立派なことを言わなくても、

歌や踊りや手工芸の達人が圧倒的なパフォーマンスを示さなくても、

アイヌモシリ、北海道には、先人から伝わる精神を大切にしようと、人知れず祈り続けている人が大勢いる。

アフターコロナの社会は、共生と循環の精神が基本になる。

一万年続いた縄文の精神には、けして消えることのない力がある。

あちこちからアイヌモシリの底力が湧きだしてくると思う。

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