今日も一日、色んなことをたくさん考えていた。あれをしよう、これもしようと。公務員として仕事をしていた時よりもずっと忙しい。

公務員の時は、自分のやりたいことから無理やり切り離されていた。その時間は、組織における自分の役割を果たすだけだ。

組織に縛られる時間が長すぎると、やりたいことがまるでできない。だから、年を重ねるにしたがって不満がどんどん強くなっていた。

最後には、仕事中まで色んなことが頭の中を駆け巡るようになり、脳がオーバーヒートを起こしていた。

やりたいこと、やるべきことをしていないことへのストレスが強すぎて、仕事どころではなくなっていたのだ。

退職した理由は他にもあるのだが、とにかく辞めて本当にすっきりした。

仕事から解放されたら、全ての時間が自分のものだ。だから、好きなことを好きなだけ考え、実行することができる。

今までできなかったこと、後回しにしてきたことが、思っていた以上に多いことに気づく。

だから、退職してから忙しくて仕方がないのだ。

あまりにも忙し過ぎてかえって混乱するところがあった。具合が悪くなることさえあった。

だが、思いつくままに書いたり喋ったりしてるうちに、少しずつ自分が整理整頓されてきたような気がする。

何から順番にやればいいのか、そこに迷うことが減ってきた。

誰も考えつかないような特製カレンダーを作るとか、40年前に考案したサイコロを使った野球ゲームを復活させるとか、家系図を調べるとか、自分流のバイクツーリングをしてその記録を残すとか、英語とスペイン語を修得したいし、簿記やお金の知識も身につけたい、その他にもやたらと頭に浮かぶことが多い。

こうして書き並べてみても、信じられないくらい子どもじみたことも多く、少し恥ずかしくなるくらいだ。

たぶん、子ども時分から消化不良な生き方をしてきたからだと思う。

どこまで手が回るかわからないが、心のおもむくままに、思いついた順番に手をつけていく。

まだとても忙しいのだが、

今は、すべての思考が空回りしていた辛い日々とは違う。

今のペースでなんらかの形でアウトプットを続けていけば、スルスルと心が流れ、体が動くようになり、

いずれは、「何も考えない日」ばかりになっていくような気がする。

やり残し感が減ってくると、ルーティンな作業、例えば単純に絵を描き続けるとか、木彫りを彫り続けるとか、そんな風になっていく直感がある。

よく、「考えるな、行動せよ」などと言われることがあるが、

考えることは、やめようと思ってやめられるものではないと思っている。

振り返ってみても、酷く悩み苦しんでいた時は、考えようと思って考えていたわけではない。

人は、考える必要がある時にだけ考え、悩み苦しむのだと思う。

「産みの苦しみ」と言う言葉が浮かんでくる。

要は、水が高いところから低いところに流れるように、常に自分らしく生きるだけのこと。

そのために、環境を整えるために、どうしても考えないといけない時もあるのだと思う。