私は50歳で地方自治体を早期退職した。
早期退職を決断した理由は、大きく二つあげることができる。
一つは、今の行政組織の在り方が社会のニーズからズレてしまい、業務に無駄が多く、余計なことで職員が心身をすり減らしてしまっていること。
もう一つは、このまま組織に居続けても、激変する社会に適応していくための個人としての力を身につけることができないということ。
あくまで私個人が感じてきたことではあるが、主にこの二つである。
つまり、その労働に見合う成果を、社会全体としても個人としても見いだせなくなったのである。
激変する社会に既存の巨大組織がついていけないのは、ある意味仕方のないことである。
その中でも、個人としての生き方をなんとか実現できるのならまだいいのだが、、
まず大前提として、公務員は副業が禁止されている。
やっかいなのは、「職務専念義務」という、いかにももっともらしいのがあるのだが、
この解釈が社会一般に誤解されてしまっているために、
公務員の、一国民としての基本的人権や権利までが著しく侵害されてしまっている。
どの職員も、職務専念義務の名の下、一方的にはめ込まれた部署において、ある専門的な役割をあてがわれているのだが、
組織の歯車の一部として、巨視的なバランス感覚や社会からの要請などに左右されない態度を貫くことを強いられている。
また、職員は組織の歯車の一つとしての役割を果たすだけでなく、それ以外のことに口出しすることが事実上できなくなっている。
例えば、社会福祉担当部署で介護保険関係の担当者でいるうちは、それ以外のこと、少子化対策、ましてや農業政策などについて意見を述べることはできない。
「庁内から幅広く意見を集める」などと、開かれた職場をアピールしたりすることもあるが、そんなものはただのやってるふりに過ぎない。
その証拠に、
長年公務員として働けば複数の部署を経験し、思うことや言いたいことがたくさんあるはずだが、ほとんど何も出てこない。
そうした思いの大半は、組織全体に漂う、無言だが非常に強力な圧力によって当然の如く押し潰され、元々何も無かったものとされてしまっている。
これが組織というものだと言えばそれまでだが、こうしたことから無力感を感じ、モチベーションを保てなくなる職員も大勢いるのである。
公務員には「守秘義務」というのもあるが、これもまた間違った意味で認識されている。
公務員として見てきたこと、聞いてきたこと、感じてきたことは、在職中はおろか、退職後も一切喋ってはいけないという空気に支配されている。
もちろん、個別具体的な情報や倫理的に口外してはいけないことなどは喋るべきではないが、
一個人として、組織の中で感じてきたことを踏まえ、社会に有用で建設的な意見であれば、むしろ積極的に発言すべきではないか。
公務員が有している知識と経験は国民の財産だと思うのだが、これを活用しないのは、社会の大きな損失だと私は思う。
大半の公務員は、在職中はもちろん、退職しても何も語らない。政治に関しても何の意見も言わない。
これが公務員のあるべき姿と認識されているようだが、少しは疑問を持つべきと思う。
さらに、ここからが大事なのだが、
公務員も公務員である前に国民なのだが、実際のところ、公務員の国民としての権利はどう扱われているのかということである。
延々と致死レベルの超過勤務を強いられている公務員の基本的人権は?
社会的活動や発言を事実上封じ込まれている公務員の思想と表現の自由は?
公務員も憲法に書かれている国民であり、何かの犠牲になってはならないはずである。
公務員が犠牲になることによって、全体の利益になるならまだしも、
「公務員が黙々と過酷な労働をしているのだから、民間も黙って我慢しよう。それが日本の美徳だ。」とか、
「経験豊富な公務員でさえ政治的な発言をしないのに、一般人が政治のことをあれこれ言うべきではない。」とか、
このようなマイナス作用が働いているのではないか。
結果として、憲法の精神とは真逆の現象を社会に引き起こしてはいないか。
わざわざ無駄にがんじがらめにしなくても、公務員が職務に専念するのは、当たり前である。
放っておいても公務員は仕事をするしかない。とても怠けることができるような状況ではない。
そもそも、予算も足りない、時間もない、人も足りない中、業務を遂行しなければ国民の生活そのものが成り立たないのだ。
その中で公務員は仕事をしている。
だが、公務員も国民であり、生身の人間なのである。
公務員として、国民の生活を向上しようと考えるのなら、
公務員自らが、憲法に定められている一国民としての権利と自由をしっかりと自分のものとしなければならない。
私は地方自治体を早期退職したが、これからは、公務員在職者や経験者の思いを少しずつでも引き出し、社会に役立てていきたいと考えている。
やはり、公務員も、公務員でない人も、誰かを犠牲にするような発想や態度ではいけないと思う。
それは巡りめぐって、自分たちの首を絞めることにしかならないのだから。
実体験から語れる記事、とってもためになります。公務員も一市民として人権を尊重するべきという基本的なことが、一般民にはなかなか理解されない風土なんじゃないかと思います、この国では。私は何カ国かの文化に接してきましたが、異国との差は日本のどの地方に行っても歴然だと感じます。外国の公務員はなぜか笑顔で楽しそうな人が多い印象で、一市民や訪問者として距離感を感じることはまず有りませんでした。日本の中でも地方によって事情が大きく違うと思いますが、身近なところでは、コンビニなどの小売店舗でのカスハラのように、客に店員は逆らうべきでない的な風土が有ることは、もしかしたら武士の時代の遺産なんじゃないかと思うくらいですね。アフターコロナの世界では、みんな少しずつ多く自分で考え、組織や文化を作り提供する側と市民との対話が進んで、人生楽しい世界を作れるようになれば良いなと思っています。今後の発信を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。公務員の世界にも日本特有の自己犠牲の精神がいまだ根強いと思います。文字通り犠牲になるだけで、本当の意味で得する人が誰もいないというのが悲しいところです。一度やると決めたら後戻りできないところはインパール作戦とそっくりだし、安定した地位&給与と引き替えに組織の歯車になることは、英霊扱されることと引き替えに玉砕するのと、本質的には大差ないと思っています。ただ、今は抜け出そうと思えば泥舟から抜け出せます。抜け出して、自己実現する人が増えれば、世の中が変わっていくようにも思っています。