公務員の仕事は、やって当たり前とされている。
だが、この仕事、果たして誰でも簡単にできるようなものだろうか。質的にも量的にも、公務員を取り囲む環境は年を追うごとに厳しさを増していることを忘れてはならない。
それは、国内で叫ばれ続けてきた少子化、高齢過疎化の進行などに起因する、大小様々な社会的な問題に対し、諸政策を推進している現場の状況を少しでも想像してみればわかると思う。
「公務員は大変だ」という同情を集めたいわけではない。
行政組織は国民の財産であり、その現場の実態を正しく知ることが国民生活の改善に不可欠であるということである。
最近の事例で言えば、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、4/7に緊急事態宣言が出された。
二転三転した経済対策についても、ようやく実行されようというところまで漕ぎ着けたが、
これまでの過程で、中央省庁だけでなく地方自治体も含め、どれだけの公務員がどんな仕事をしてきたのか想像してみたらいいと思う。
緊急事態宣言が出たら出たで、全国隅々にまで速やかに通知をしなければならない。通知と一言で言っても、今回のようなことは過去に前例のないことであり、行政の組織内でもそのやり方に様々な考え方が噴出していたはずだ。
中央でうまくまとまったとしても、地方から強い反発が出てくることもある。見切り発車でやってはみたけど、どうにも不味いことが噴出してしまうこともある。
第一、宣言が出されてから動き出すわけではない。何ヵ月も前から、宣言を出す場合と出さない場合、出すにしても想定される複数のパターンの、法に基づくシナリオを用意しておかねばならない。
さらに、それらを一度用意したら安心できるわけでもなく、時勢の流れしだいで常にそれらの見直し、修正を行っているのだ。
政治的決断がどこに向かうか不透明な中、複数の有力なシナリオに沿って、あらかじめ予算書やそのバックデータを中央と地方が連携して整備しておかねばならない。
ここまで言えば、公務員が国民の見えないところで、とんでもない作業量と重圧の中で仕事をしていることに気づけると思う。
さらに具体的事例をあげるとすれば、低所得世帯30万円から一人一律10万円へと二転三転した個人給付金のこと一つを考えてみても、行政組織に走る衝撃、過酷さは筆舌に尽くしがたいものがある。
これらは、組織としてやって当たり前のことであり、実際、文句も言わずに淡々とやってのけてはいるが、コロナのような事件事故がなくても、諸政策の推進、議会対応など、日常見えないところでとんでもない量と質の仕事をこなし続けている。
公務員は仕事をして当たり前だが、行政組織は国民の財産であり、働いているのは生身の人間である。
その現場の実態について知ること、せめて想像してみることは、これからの国民一人一人の生活を守るために必要なことだと思う。