少々刺激的なタイトルかもしれないが、事実は事実なので。

このことに限らず、この国のほとんどの人は、思っていることを口に出さない。よくも悪くも、それがこの国の文化だと思う。

臭いものに蓋をすることによって混乱を封じ込め、少なくとも表向きには穏やかな社会を実現してきた。

これについては、私自身は最終的に弊害の方が大きくなると思っているのだが、様々な見方、考え方があり、とても一言で括ることはできない。

まあ、今までのところは、

これ(臭いものに蓋)でもよかったのだと言えなくもない。少なくとも、それほど悪いことだったとまでは言えないのではないか。

だが、今の私たちは、世界規模の多くの人命にかかわる危機に直面している。

社会全体で、事実は事実として受けとめ、実態をできるだけ正確に把握、理解しておく必要があると思う。

国には、社会的に誤解されることのないよう、この国特有の文化を悪用することなく、とにかく人命優先で必要な情報を開示する義務があるはずだ。

人命よりも国や自治体の体面を保つことが優先されるようなことではいけないのである。

今となっては、

どんなに医療先進国を気取ってみても、実際に感染爆発が起きているのである。

既に容量オーバーで、医療現場は医療の必要な患者を抱えきることができていない。

しかし、

この期に及んでも、これまでの国をあげての国民洗脳が利いていると言うか、この国独特の数字の出し方に幻惑されたままの人も少なくない。

未だに何が起きているのかわかっていない、誤解したままの国民が大勢いるというのも事実である。

感染爆発はずっと前から始まっているのだが、

行政は、既存の医療インフラでカバーできる範囲に収まるように、意図的に検査数と感染者数を絞りこんでいる。

最近はここに気づいている人が増えてきていると思うが、一般的にはまだまだ理解が不十分である。

ここに気づいて、医療機関や行政に怒りたくなる気持ちもわかるが、怒ってどうなるものでもない。

いまさら医療機関や行政を叱咤激励したところで、現場のパフォーマンスが上がるわけではない。現場にできることには元々限界があるのだ。

実際、病院も保健所も疲弊しきってしているではないか。

そもそも最初から、医療機関も行政もほとんどいっぱいいっぱいなのだ。

普段から現場をそういう状況に追い込み、見て見ぬふりをしていたのはどこの誰なのか。

別に、無知を装う無責任な人たちにダメ出ししたいわけではない。

今、私たちが直面している危機と正しく向かい合うために、この国の文化と現実を直視しないといけないと思っているだけだ。

今は、感染症指定医療機関でさえ、マスクや防護服までもが不足している。

過酷な現場において、やむにやまれず医療を施す人を選別せざるを得ない状況を、誰もが想像しなければならないはずだ。

医療に限らず、今やこの国の行政は平時においてもギリギリの綱渡り状態だ。

「効率こそが絶対的な正義」とされ、予算も時間も物資も人までをも削りに削ってきた結果が、今のこの現実なのである。

それで何がいいことがあっただろうか。平時からどこもかしこも、誰も彼もが切羽詰まっていて、余裕がなく、息苦しくて、普段から疲れきっている。

そんな状態で危機管理がどうのこうのと、口先だけでやってるふりをしてきた。

やれ関係機関の連携だとか、訓練や日々の備えが大事だとか、

そんなことはわざわざ声高に言われなくても当たり前の話だ。

もっともらしいマニュアルとかを作っただけで満足してはいないか。

部外者に対して、「うちは危機管理対策をしている。」と言える状態を作ったことへの満足。

だが、そこには、危機管理の本質的な実効性はない。

ただでさえ忙しいのに、対策してるふり、やってるふりをすることがさらに余計な負担となり、現場を疲弊させている。

全国のありとあらゆる機関が、行政の指導の下、様々な危機管理対策を講じていると思うが、

それらがどれほどの効果を上げてきただろう。

未来の安全と安心を確保するものとして、今後にも期待できるだろうか。

毎度、「想定外だった」などと、つまらない言い訳ばかりして、ちっともその後に反省や教訓が生かされていないのではないのか。

いい加減、社会全体でこの現実を受けとめようではないか。

その上で、

医療をはじめ、それぞれの現場は今後どうあるべきなのか。

行政の役割と在り方についても、現実的な観点から社会全体で考え直そうではないか。

これは全ての国民の生活に直結する大事な論点だと思う。

こうした議論を人任せにしてしまう習慣もあらためるべきと思う。

同時に、なんでもかんでも専門家に頼り過ぎる発想も見直そうではないか。