なんとなくなのだが、稀にその場の空気に自分が馴染んでいないと感じることがある。
自分の周りの空気の流れが自分の存在と噛み合っていないと言うか、時には、私に強い抑制をかけてくるような感じ。
思い出すのは、20年ほど前にバイクツーリングをしていた時のことなのだが、
日が落ちてから栃木県の北部を北上し、23:00過ぎに猪苗代湖周辺に辿り着いたことがある。
湖が近づくにつれ、妙に風が強くなっていたのだが、ただ強いだけでなく、いきなり強くなったり、弱くなったりする感じがなんとも意地悪く、気持ち悪く感じていた。
走行している私のバイクの周りに風が不自然に舞っていたのだ。
ランダムに前後左右、斜めに、上下に、時に吸い込まれるような、叩きつけられるような、振り回されるような感じの中、やたら緊張して走り続けていた。
停まろうとすると、後ろから異常に強い風に吹かれ、ここに停まることを許されていないように感じたりもしていた。
停めやすそうな場所に停めた瞬間、スタンドを出す余裕も与えられず、とんでもない突風が真横から来て、バイクごと倒れそうになったりした。
まだ若かったのでなんとか踏ん張り、倒れないで済んだのだが、
あの時は言い知れぬ恐怖に包まれていた。
あの場所一帯が、私を激しく拒絶していたかのように感じていた。
しかし、既に23:30を回っており、強い緊張の中を走り続けてきたために、私は疲労困憊であった。
これ以上バイクを走らせても、この不穏な空気から逃れられるかもわからず、場の空気に馴染むべく、一心に祈り続けながら、猪苗代湖畔のキャンプ場で泊まることにした。
テントサイトに着いてからも意地悪な風はおさまらず、テントを立てるのにもかなり手間取った。
少々の風ではバイクが倒れることなどありえないのだが、倒れた時のことを考え、置場所にも頭を悩ませた。
当時はローソクのランタンを使っていたのだが、テントの中なのに、炎が風に煽られるようにして激しく揺れている。
私は本を読むのを諦め、平常心をベースに祈り続けることにした。
灯りを消し、意識を外に向けると、風はより強くなり、大きな音を鳴らしながら、テントを捻ったり、押し潰すようにしてきた。
何者かが、何かしら私に伝えたいことがあるような気がした。
よくわからない。私には祈ることしかできない。
怖いと言えば怖いが、私にも私を守ってくれている無数の魂がある。
近くに死んだおじいちゃんの存在を感じ始めてからは何となく安心が生まれ、緊張が解れるとともにそのまま深い眠りに落ちていった。
翌朝、目が覚めた時には昨夜の風が嘘のように穏やかになっていた。
テントの外に出ても意地悪な感じはしない。
おじいちゃんと、この場所の神様に、感謝の言葉を呟きながら、テントを撤収した。
スムーズに撤収できたので安心した。
なんだったのかよくわからないが、あの日は、芦ノ牧温泉付近のトンネル辺りから何かがいつもと違っていたのだ。
バイクに乗っていると思うのだが、土地には、強い魂がはりついていると感じることがある。
私は、その魂を蔑ろにしてはいけないと思っている。
だから、その土地に入る時には必ず心の中で挨拶をする習慣がある。
そして、何らかの恵みを受け取るのであれば、あらためて感謝する。
バイクツーリングを繰り返すうち、そうしたことが自然と身についてきている。
バイクは常にそこの空気を感じながら走っているのだが、
祈りの前後で、はっきりと風が変わることがある。
18日のパヨカカムイエピルの時にも、祈りの直前に空気が揺れていたように感じていた。
エピルが終わってからは、風が止み、大気も大地も穏やかに鎮まったように私は感じていた。
私は、エピルで流れが変わったと思っている。
祈りを終えてきた私が岩見沢に帰ってきてから、岩見沢の、私を包む空気がまだ少しざわついている。
天気予報を見ると、向こう一週間くらい不安定な空が続きそうである。
しばらくは、私の気持ちを整理していく時間だと思っている。
無理に空気を変えるつもりはない。
私自身が変化の時期なので、目の前のことにひとつひとつ向かいあっていく。
私のその様子を、誰かが見てるのだと思っている。
今はパンデミックの最中であり、変化に直面している人が大勢いる。
それぞれが、新しい気持ちで新しいことを積み上げ始めている。
だから、弟子屈も岩見沢も、北海道全体の空気も、これから徐々に変わっていく。そんな直感がある。