日文研(国際日本文化研究センター)から、梅原猛先生の追悼集「天翔ける心」が送られてきた。

今、ちょうど一年前に京都で開かれた梅原先生のお別れの会の時のことを思い出している。
梅原先生と言えば、日本文化の根幹に縄文の精神文化があると考え、その思想を創造的に膨らませてきた偉大な哲学者である。
無学な私は、いまだにその巨大な知の世界の100分の1も理解できていないのだが、
なんと、
梅原先生の遺影の目の前で、葬送曲にのせた祈りの舞を捧げるという大役を授かったのである。
2019年3月、梅原先生と親交のあった、道東の某エカシに日文研から依頼の文書が届いた。
エカシは音楽家であり、アイヌ詩曲舞踊団のリーダーでもある。
日文研からエカシへの依頼で、梅原先生のお別れの会において、縄文の精神に基づく祈りの歌舞が行われることになったのである。
その歌舞メンバーの一人として、エカシが私を指名してくれたのだ。
何故私が選ばれたのか、今でもよくわからないのだが、
受ける以上は雑念を払い、ひたすらに心を込めて祈ることに集中しようと考えていた。
梅原先生とは会ったこともなかったのだが、その大きな遺影の前で、心が強く震えていたことだけ覚えている。
梅原先生の心と触れあい、ともに舞っているかのような感覚に包まれていた。
深い感謝の念。全身全霊の祈り。

今、この追悼集を手に、あの時の気持ちを振り返っている。
弥生からこっちの歴史はせいぜい2300年だが、
縄文は、その4~5倍の一万年。
先人たちが積み重ねてきた日々の営み、膨大な蓄積に思いを馳せる。
縄文から受け継がれてきた根っことなる精神を、今、私たちはきちんと受けとめることができているだろうか。
あの時、私は、梅原先生からその強烈なメッセージを受け取ったと感じている。
やはり、私たち日本人の精神構造を考えた時、縄文以前の歴史について素通りすることはできないと思う。
私は学者になるつもりはない。知識は求めていくが、大事なことは毎日の生活の中で先人からの教えを実践していくことだと思っている。
これからも感謝の気持ちを忘れず、毎日祈り続けようと思う。