今のような形で世界の経済活動に急ブレーキがかかることになるとは、ほとんどの人は予想していなかったはずだ。

大きな変化が起きるとしたら、そのきっかけは戦争ではないかと思われてきた。だが、新型コロナの影響は戦争よりもインパクトが大きいかもしれない。

今起きている世界的な経済活動の収縮をどうとらえるか。単純に動くお金の量が減ったということだけでは片づけられない。

否が応でも既存のシステムが変質していくことになる。新型コロナが収束したら元通りに経済活動が復活するのかと言えば、そうはならないと考えるのが自然である。

世界中の多くの都市で封鎖や外出自粛が長期化し、人とお金の流れが止まっている。

コロナが収束しても電車に乗る人は以前より減るだろう。テレワークでできる仕事はコロナが収束した後もテレワークで行われるようになる。ほとんどの企業や事業所でも新型コロナが蔓延する前とは違った在り方を模索しているに違いない。

淘汰され、無駄が削ぎ落とされ、この混乱の中で必要とされるものは残る。そして、新たに必要とされるものが生まれ、そこに人が集まっていく。

お金が動かなくなれば銀行も減る。膨張しすぎていた交通インフラは将来を見越して大規模なリサイズが断行される。都市から地方に人が流れ、新しい価値観に根差した多様なライフスタイルが広がっていく。自ずと娯楽や観光のあり方が変わり、宿泊業や飲食店の形態も変わっていくだろう。

いずれにしても、これからの社会の動きを読み取っていくしかない。既存の会社組織にしがみついていては生活は守れない。コロナが収束した後も経済活動が減速し続けることを想定し、その中でそれぞれが生きていく術を見出していく必要がある。

そもそも、お金さえあれば安泰なのかということにも疑問符がついている。

今のところお金は大事だが、これからはお金を持っているだけでは安心できないという空気が広がりつつある。

20年くらい前には大資本の大型店舗だけでなく、昔ながらの小さい個人商店もけっこうあった。消費者にとって選択肢がたくさんあったと思うが、近所に歩いて買い物に行ける店はずいぶん減ってしまった。今では車で大型店に買い物に行くしかない。

店に行っても、実感として品揃えがよくなっているとは言い難い。商品開発が進み、より生活が便利になっているはずなのだが、消費行動により獲得できる満足度は著しく低下しているように思う。

いくらお金を持っていても、どんなにお金を注ぎ込んでも、安心感も満足感も得られない時代が近づいているような気がしているのは私だけではないと思う。

でも、仮にお金の価値が下がっているのだとしたら、その分だけ何かの価値が上がっているのだと思う。そこには、すでに気づいている人は気づいているという感じだろうか。

今までの価値観やシステムから抜け出すことのできない人にとっては、お先真っ暗の暗黒時代でしかないだろうが、今は、新しいチャンスがそこらじゅうに転がっているように思う。

どうなるかわからない未来を不安視する人も少なくないが、お金で動いてきたシステムが崩壊していく時には、受け皿となる新しいシステムがきちんと出来上がってくるのでなんの心配も要らない。

未来のシステムがどんな仕組みになるのか。色んなことが考えられるが、現時点でそれを言葉にするのは難しい。予想屋でもないので当てっこしても仕方がない。なるようになるだろうし、全体として好ましい方向へ向かうと私は思っている。

何でもお金で買えた時代は既に過ぎ去り、人任せにせず、衣食住を自分の力で確保しようというマインドが復活していく。

スペシャリストである前に、誰もが最低限のゼネラリストとしての素養を身につけることが意識されるようになるのではないか。

医者任せにせず、食生活や心の在り方について自分の頭で考え、実践する人が増えていくだろうし、

死についての意識も変化していくに違いない。いたずらに死をおそれたり、忌み嫌うのではなく、死を正面から受けとめ、覚悟していくためにも、今この瞬間をどういう心持ちで生きるかということに重点が置かれるようになっていくのではないか。

そうした多くの人の思考や行動の積み重ねが、新しい社会、システムを作り上げていくことになると思っている。