時代はまわる

昨日バイクを出した瞬間から一気に季節が変わったような気がしているが、今年は例年以上に色んなことを考える春を迎えている。

私の場合、考えすぎる性格が災いして心身に負担がかかっているので無理は禁物なのだが、

世界がこれだけ激しく揺れ動いていて、その動きが自分たちの身近な生活にも影響してくると思うと何も考えないわけにもいかない。

しかし、日本人は世界の動きに無頓着過ぎると思う。

いちいち浮足立つのは最悪だが、いくらなんでも反応が無さすぎる。

株価が暴落しようが、どこで戦争が起きようが、全然何とも思っていないように見える。

無頓着なのが一番目立つが、次に目立つのは、情報を自分の頭で解析する習慣がない人たちである。

例えばスーパーで買い物していても、社会全体の傾向というか、一般庶民の行動性向を感じ取ることができる。

ここ数日の新聞やテレビでは株式の下落についての報道がメインになっているが、おそらく7割以上はまったくと言っていいほど危機感を感じていない。

彼らの多くは「株などは自分には関係ない」という思い込みに支配されている。株価の影響を受けるのは一部の資産家だけで、自分の生活にはまったく関係がないと思い込んでいる。

「株って難しそうだし勉強が面倒。わかったところでお金をつぎ込めるほどの余裕もない。結局のところ博奕っぽいし中毒になる恐れもある。」

だいたいこんな感じで、それ以上考えようとしない。

「株で大儲けしているのはごく一握りで、彼らもいずれ破綻する。本当に賢い層は株と無縁。」

こうした根拠のない言い訳をしながら、知的で善良な市民を気取っている。

さらに古き良き時代の旧型企業戦士などは、

「汗水垂らして地道に稼ぐのが正しい生き方というもので、楽して稼ごうなどと考えた瞬間にろくなことはない。」などと、やたら力強くのたまう。

「頭のいい人はうまく稼いでいるみたいで羨ましいけど、無知がバレるのも悔しいので、とりあえずは忙しくて無関心なふりでもしていよう。」

少し気づき始めた方でも、だいたいこんなところなのではないだろうか。

だからトップニュースで市場が混乱している様子が報道されても一切動じない。

「(本当はヤバいかもしれないけど、)今のところみんな呑気にしてるからたぶん大丈夫。よくわからないけど、みんなと同じようにしてればそんなにヤバいことにはならないだろう。」

大多数の心理はこんな感じだと思う。

日本人がこうなってしまったのは、やはりこれまでお金のことについて学んでこなかったというのが大きいと思う。

ここにきて少しずつお金の知識の必要性が認識されつつあるが、それでも関心を持っているのはごく僅かである。

今の日本ではいくら働いても個人も社会も豊かになれないが、その理由について考え始めたらお金について考えることを避けて通ることはできないはずだ。

だが、この国では学校でも家庭でもお金について触れようとはしてこなかった。むしろタブー視している節さえあって、気軽にお茶の間の話題にできるような雰囲気ではない。

こうした中、現代のさまざまな社会問題に直面するたびに、

「今まで私たちが学校で習ってきたのはなんだったのか」と、疑問を持つ人が増えてきている。

学校でよい成績を取れば社会的に優位な地位につくことができたかもしれないが、社会に出てから学校で学んだことが役に立ったことはほとんどない。

社会に出てからの方がわからないことや知りたいことが山ほど出てくるが、何がなんだかさっぱりわからない。

しかも、

わからないまま結論じみたものを一方的に押しつけられ、その流れに乗って行動することを強制されている。その間、一瞬でも立ち止まって自分の頭で考える余裕さえ与えられない。

それでもみんなが幸せに生きていけるならいいのだが、今のままだと不安が膨らむばかりだという人が増えてきている。

これはどういうことなのか。振り返ってみれば、

学校で教えられてきたのは断片的な知識ばかりであり、個人の自発性や創造性は、適正に評価されるどころか、集団の論理の中で窮屈に押し込められていたのではないか。

学校教育は個人が幸せに生きていくための基礎作りなのだと思っていたが、違っていたのかもしれない。

今までの学校教育にダメ出ししたいわけではない。

社会構造の闇や今までのことはともかく、

これからの時代は、個人が自発的に物事を考える習慣を身につける必要があると思う。

ふと、中島みゆきの名曲、「時代」の歌詞が頭に浮かんできた。

 まわるまわるよ 時代はまわる

 別れと出会いを くりかえし

 今日は倒れた旅人たちも

 生まれ変わって 歩きだすよ

私がこの世に生まれてきてから51回目の春。この間、社会も私も目まぐるしく変わってきた。いつの時代も立ち止まることなく、変化しながら回り続けている。

個人が大きなシステムに組み込まれていることが前提の社会は完全に終わったと思う。

何事にも縛られる必要はない。育ってきた家庭の事情も、受けてきた教育の弊害も関係ない。

過去に縛られることなく、どこからでも自分の意志で人生を切り開くことができるのだ。

昨日、DRと会話しながら私もやってみようと思った。

2件のコメント

  1. こんにちは。
    自分の半径2m内の、今、さえ良ければ良い、半径2m外のことと、過去や未来はどうでもいい遠い話と思ってる人が多いと思います。私もそうです。どうでもいいというよりは、見て見ぬふりをしているというか… これは危険であるとどこかでわかっているけど、その勘や不安すらも見て見ぬふり。
    こうなっているのは日本のメディアのやり方や、個を押し込める教育が行われてきた社会構造の、自然な残念な結果のように思います。。自分の頭で考える力が弱い自分が、社会のせいにしたところでですが…
    この記事を読んでいると中村文則の『 R帝国』を思い出しました。
    突然失礼致しました。いつも更新楽しみにしています!

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    • ありがとうございます。思っていることを言葉にすることはとても大事なことだと思っています。私自身、今までほとんど話したり書いたりしてきませんでした。人にきちんと伝わるような文章がなかなか書けなくて苦労していますが、継続していきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

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