東京大空襲について語られなくなっている

今日で東京大空襲から75年になる。節目の日のはずだが、テレビや新聞を見てもまったくと言っていいほど話題に出てこない。

東京都は毎年3月10日を平和の日と定めて記念式典を開催しているのだが、あまりに情報が入ってこないので調べると、新型コロナウイルスの感染拡大の防止を理由に中止となったことを知った。

テレビなら何かしらの特集番組や再放送があるだろうと思ったが、番組表を見てもどこの局からも一つも見当たらない。

ネットで検索すると小規模な慰霊祭や追悼集会などの記事がいくつか出てくるが、どれも主要ニュースとしての扱いはされておらず、一部の関心を持った人以外の目に触れることはない状況と思われる。

これでよいのだろうか。

東京都の姿勢も不思議で仕方がない。たしかに、記念式典は中止にするしかなかったかもしれない。しかし中止ならなおのこと、東京都としての平和に向けた思いなどを広くわかりやすい言葉で表明すべきと思う。しかし、知事や生活文化局からのアナウンスは一切な聞こえてこない。都のホームページに「式典中止」と表示されているだけである。

こういうことを批判したいわけではない。私以外にも現状に違和感を抱く人は大勢いると思うが、こうした思いは社会の隅っこに追いやられつつあるということである。

私たちは、かつて絶対に忘れないと誓っていたことさえも平気で忘れるようになっている。

一昨年に江東区の東京大空襲戦災資料センターを訪問した際、館長の早乙女勝元さんと少しだけ言葉を交わしたことがある。

早乙女さんは、いかにして次の世代に大切なことを語り継いでいくべきかを考えていた。

その姿を見て、私自身にも責任があると感じたのを思い出した。

しかし、私はいまだに何もわかっていないし、何一つとして行動できてもいない。

せめて節目の時くらいは当時の人々に思いを馳せ、普段から忘れずに祈ろうと思う。

ニュースとして扱われなくとも、大切な思いを胸に黙々と祈り続ける人はたくさんいる。そうした思いの蓄積が必ず世界を変えると信じている。

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