ショボイところから始める

昨日、北海道知事から道民に対して2日間(2/29~3/1)の外出自粛要請が出た。

要請と言うだけで強制力はないのだが、事実上かなりの影響がある。

予定されていたイベントはほぼ全て中止となり、町は人通りも少ない。飲食店などは閉めている店も目立つ。

感染拡大を防止するために必要な措置はとるべきと思うが、

だからと言って、今回の政府や北海道庁の対応は行き過ぎではないだろうか。

例えば、30年前に今回と同じウイルスが発見されたとしても、ここまで一般の活動が制限されることはなかったはずだ。

対応が違うのは何故か。

社会インフラが整備され進化し、感染症に対して的確で有効な措置を取れるようになっているのならよいが、果たしてそのように感じている人がどれだけいるだろうか。

医療や福祉などの体制が整っているわけでもなく、むしろ脆弱になっているようにさえ感じられる。

さらに、氾濫する情報に翻弄されるばかりで、一向にリテラシーの向上しない大衆の群集心理。

日本の社会システムは既に酷い制度疲労を引き起こしていると思うが、

今回の政府や自治体の対応は、まさに制度疲労の弊害そのものではないか。

誰もが「感染症の拡大防止のため」と口では言うが、そのために真に有効なことなど何一つとして実行できていない。

国民も、政府や地方自治体が感染症の拡大を防止できるなどとは思っていない。

過去の慣例に従って既存の大きな歯車がオートマチックに動いているだけで、誰一人として責任を取る覚悟を持ち合わせていない。

こうした中、トップダウンで押しつけられてくる指示に事実上逆らえない、拘束されてしまうことの居心地の悪さったらない。

感染拡大の防止は名目だけで、不当な圧力をかけられているように感じてしまうのは私だけではないはずだ。

ただ、見方を変えれば、

オリンピック後の国内経済は急速に萎んでいくことになるわけだが、

今のショボイ現実はその予行演習をしているようにも思える。

「ショボイ」と書いたが、いずれこれが当たり前の日常になっていくはずだ。

むしろ、今までが舞い上がり過ぎだったのだ。

かつてジャパンアズナンバーワンと言われた時代もあったが、

それはその時代の様々な事情により、たまたま起きていた一時的な現象に過ぎず、

当時の必要に迫られて国家権力が作り上げた構造に乗っかっただけの繁栄だったとも思える。

少子高齢化も来るところまで来てしまい、もはや国力の低下、縮小は避けられない。

今でこそ中央権力の力は無視できない状況にあるが、いずれはその求心力もしだいに下がっていくのではないか。

これからは権力や組織に縛られない発想を持つべきであろう。

今回の新型コロナによる自粛騒動だけでなく、北海道胆振東部地震&ブラックアウトなども、将来の変化にどう対応していくのか、道民が試されているような気がしている。

資本主義の行き着く世界はどんな景色になるのか。少しずつ見え始めてきたのかもしれない。

ならば、足元から踏み固めるようにしてこの状況にも慣れていくべきであろう。

どんな富豪の株式投資もショボトレから始まっている。期待は持てる。

浮わつくことなく、新しい北海道の在り方を見い出し、作り上げていくチャンスではないかと思っている。

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