フェイクニュースはなくならない

フェイクニュースが広がるのには理由がある。

理由として最初に思い浮かぶのは、

「嘘を生み出す側に、嘘を広めようという目的意識があるから。」ということである。

だがそれだけでは説明できない。

フェイクニュースを意識的に作る者がいなくても、ある日突然、自然発生的にフェイクニュースが生まれ、あっという間に広がることもある。

フェイクニュースの作り手の有無はあまり問題ではない。

フェイクニュースが広がるのは、情報を鵜呑みにする者が大勢いるからだ。

仮に世界共通の強力なルールが徹底され、フェイクニュースの発生を完全に無くすことができたとしよう。

その上で、ある「正しい情報」が流れ始めたとする。

だが情報は伝達される過程で多かれ少なかれ必ず変質する。

情報の受け手の中に、わずかな勘違いや思い込み、個人的な感情などが入り込む。

「正しい」とされていた情報が、

非常に個人的な、小さな思い込みなどと複雑に絡まりあう。

同じ情報であっても、受け取り方は受け取った人の数だけある。

それが何かのきっかけで社会的な不安感などと結びついたりすると、

突然、恐怖や憎悪といった極端な感情を誘発したりすることも起こりうる。

そして新しい情報の発信源が生まれ、当初正しいとされていた情報とは違ったニュアンスの情報がまだらに、波を打つようにして広がっていく。

こうしたことは、人間の長い歴史の中で無数に起きてきた。このことを明確に意識しておく必要がある。

「フェイクニュースを出すな。」、あるいは「それはフェイクニュースだから信じるな。」などと、拡散をいきなり抑え込もうとする動きを目にすることがあるが、

私はこの動きは無意味だと思っている。

「フェイクニュースを作るな!」とどんなに言ってみても、作りたいと思う者は必ず作る。

また、「それは嘘だから信じるな」と言われて、とりあえずは情報の拡散を思い留まった人がいたとしても、

そのような人は、今後も情報が流れてくるたびにいちいち振り回され続けていく人であると思われる。

自分の頭で考えることをせず、情報に振り回されるということを繰り返しているだけであり、根本的な解決にはなっていない。

「それは信じるな」と言う人の言うことをすぐに鵜呑みにしてしまうということは、その反対のことも簡単に起こりうると言うことである。

だがこれはもう、仕方のないことである。

嘘を流す人も、情報に振り回され続ける人も絶対にいなくならない。

だから私は抑え込みに力を込めることは無意味だと思っている。

もちろん、フェイクニュースが流れ広まることは望ましいことではない。

しかし、だからと言って「嘘を流すな!」とか、「それは信じるな!」とかいくら言っても的外れだと思っている。

フェイクの作り手はどうすることもできない。騙される人がいるうちは、嘘を流すことをやめない。やめろと言ってもやめないのだから、放っておくしかない。

ただ、騙される人が減れば、フェイクを作ろうとは思わなくなるだろう。

だから、一人ひとりが騙されないための思考を身につけることが求められることになる。

一人ひとりが情報リテラシーを身につける。その大切さを社会的に共有することを目指すべきであろう。

まず、「広く世間に伝わっていることは事実に違いない。」というような、あまりにも単純な思い込みはやめるべきだ。

無数の情報に振り回され、失敗してしまってから間違いに気づいても遅い。それを誰かのせいにしてみても何も解決しない。

「これは正しいのか間違っているのか?」と、⭕か❌かにこだわり過ぎるのもナンセンスだ。

⭕でも❌でもどちらでもないことは世の中にいくらでもある。

両方とも⭕だったり、両方とも❌ということもある。

最初は⭕とされていたことでも、時間が経って状況が変われば、❌になる場合もある。

正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかは別として、

あの時あの場所であの人はこのようなことを話していた。とか、

あの本にはこんなことが書かれていた。

というように、事実としての情報を認識することを心がけてみる。

その上で、自分が聞いていないことや見ていないことであっても、色々な可能性についての想像力を巡らせる。そうした習慣を身につける。

「フェイクニュースはどこかで作られたり変質する可能性があり、それが広がっていることもあり得る。」と、幅を持って情報を受けとめるべきだ。

フェイクニュースは怪しからんと言えば、たしかに怪しからんのだが、

あまりそのような言い方ばかりしていると、フェイクニュースを撲滅できれば解決できるという間違った刷り込みが広がることにも繋がる。

フェイクニュースは、撲滅できるものではない。撲滅しようと考えること自体が本質からズレている。

問題の根幹は個人の外側ではなく、内側にある。一人ひとりが自らの情報リテラシーを向上させることでしか解決できない。

繰り返すが、

いかに対策したところでフェイクニュースを完全に除外することはできない。

フェイクニュースは絶対に無くならない。いつでも存在している。

たしかに誤った情報に翻弄され、多くの人命が失われた事例もあるが、それは全てフェイクニュースのせいなのか?

フェイクニュースが流れなければ、悲劇は起こらずに済むのか?

正しい情報だけが流れていれば、問題は起きないのか?

では、正しい情報とはどんな情報か?

先ほども言ったが、フェイクニュースは絶対に無くならない。

駆除もできない。

少しだけでも想像すればわかると思うが、

正しい情報だけが行き交う社会などあり得ないのだ。

みんなで情報リテラシーを身につけようではないか。

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