昨日、野村克也さんが亡くなられた。
捕手という負担の大きいポジションで45歳までプレーし、現役引退後も長年にわたり指導者として強烈な存在感を発揮し続けてきた。
かつて捕手と言えば、地味なイメージが強かったと思うが、
野村克也さんの出現によって、捕手に課せられる重要な役割、面白さにも光が当たるようになった。
時代とともに野球も大きく変化してきたが、その意味でも、もっとも大きな功績を残された方であった。
とにかく、そのエネルギーの大きさに驚くばかりである。
私もずっと野球をしてきたが、小学生の頃はキャッチャーをやらされていた。

キャッチャーをやりたかったわけではない。
重たくて脱着の面倒なレガースと、色んな人の汗と泥の染み着いたマスク。それだけで憂鬱になっていた。
指導者からは、「お前は捕球が上手く肩が強い。何より体が大きいのでピッチャーが投げやすい。」などと言われた記憶がある。
チームを見渡しても、自分に適性があるのは理解できた。
でも嫌だった。もしかしたらキャッチャーをしていたせいで、性格が少し暗くなったかもしれない。
実は、今でも夢に出てくる光景がある。
真夏の滅茶苦茶に暑い日、ライバルチームとの大事な試合に臨むのだが、
試合前にプロテクターとレガースを着ける時点で気分が滅入っている。
これらの防具はとにかく重くて動きずらい。ただでさえ暑いのに不快感がさらに増幅される。
まだ体のできていない小学生にとっては、着けるだけで拷問のようなものだ。
さらに試合が始まると、あの重くてボロボロで臭くて汚ならしいマスクを被り続けないといけない。
試合を勝ちたいという気持ちより、早く試合が終わればいいと思っていた。
自分のことだけで精一杯だった。
陽炎の立ち上るマウンド方向を見ると、あまりの暑さにピッチャーもグダグダになっている。
エースも2番手も3番手もコントロールが定まらず、ワイルドピッチを連発。
そのたびにキャッチャーの私は振り向いてバックネットまでボールを取りに走る。
特に走者がいる時は精神的にも負担が大きい。体が動かなくなり、変な汗が全身から噴き出してくる。
試合全体を統制する余裕など作り出せるわけもない。
疲労がピークに達してからは、ハンドリングも不自由になり、ミットの重さにさえ負けてしまう。
ついに、ストライクゾーンでも後逸しだす。
何度も何度も、後逸したボールをバックネットまでま走って取りに行く。
なんの罰ゲームかってくらい、しゃがんでは立ち上がることの繰り返し。
意識は遠のき、試合展開のことはまったく考えられなくなっている。
ピッチャーは疲労が見える始めるとすぐに交替されていた。
キャッチャーもそれ以上にボロボロになっているのに何故交替させなかったのか。
みんなやりたくなかったと思う。
私も嫌だったけど心のどこかに、
キャッチャーのポジションを誰にも手放したくないという気持ちがあったと思う。
なんだか不思議な感じがする。
もうキャッチャーはやりたくないと思っているが、実は好きなのかもしれない。
生涯一捕手を宣言するようなエネルギーを持ち合わせてはいないが、
キャッチャーというポジションに不思議な魅力を感じている。
みんなが見ていないところを見ようとすることに面白さを感じているのだと思う。